俗で良かった点も考慮に入れる必要がある。平安時代末から鎌倉時代初期にかけていくつか描かれた記録的要素の強い絵巻作品(中殿御会図,承安五節絵など)や職人尽歌合などを除けば,酒飯論絵巻の描かれた室町時代後期以前で,絵巻物という画面形式で当世風俗を描くことそのものを目的化している作品はきわめて少ない。酒飯論絵巻制作にあたって画家は,文字通りの当世風俗を描けば良かったという点にこそ,この作品の風俗表現が充実している原因を求めることができる。また,酒飯論絵巻の宴会の情景や厨房における調理の様子が,ほぼそのまま後続の遊楽図をはじめとする作品の風俗表現に踏襲されている例(個人蔵邸内遊楽図,埼玉県立博物館蔵太平記絵巻)があることを考えれば,酒飯論絵巻の図様は狩野派を中心とする後続の画家にとって,食風俗のひとつの規範となっていたこともわかり,その点にもこの作品の風俗表現の位置を認めることができる。さらに,詞書に示されている三人の宗教的立場の相違は明確でなく,ただ三者の身分・属性の違いが示されているだけである点も,この作品の志向が,宗教的表現よりも風俗画的表現に傾いていることをものがたっている。身分・属性の相違については,この三人にとどまらず,門前の従者たちや厨房で働く人たちの相貌や顔の色,服装などにより意識的に描き分けられている。それでは,このような風俗表現に対する関心は,先行する絵巻物との関係では,どのように考えることができるだろうか。酒飯論絵巻において風俗がいきいきと描出されている理由のひとつは,先述したように,当世風俗を描くことが可能なその在り方であったと考えられるが,風俗表現に関心を向けた画家の視線にあえて先行作品を求めるとすれば,現存作品では慕帰絵詞をあげることができる。癌帰絵詞は,親壼上人の曾孫であり,本願寺の創建者である覚如の伝記を記した十巻の絵巻で,観応2年(1351)に藤原隆章と藤原隆昌のふたりによって描かれたことがわかっている。特に藤原隆章の担当した巻を見ると,風俗表現が多彩である。主人公を取りまく人々の日常の様子が実にいきいきと捉えられているが,特に巻二と巻五には,酒飯論絵巻に通じるような厨房の様子が描かれている。巻二では,覚如を迎える南滝院での食事の場面に続いて配膳や調理,厨房での従者たちの食事風景が克明に2.慕帰絵詞との関係--165-
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