鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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3.聖カタリーナの神秘の結婚た個々の恐ろしいイメージですら,全体の夢のような雰囲気の中に溶けこんでしまっている。審判の恐怖より,救済の希望の表現に,力点が移行しているのである。毒病や火傷の平癒祈願の代顧聖人であった福音書記者や,告解や終油の秘蹟を受けることのできない突然死をとりなすバルバラなどに祈りながら,重病人たちは病床からもミサに参列することができたと言われる。そのミサが執り行われる際にのみ,扉が開かれて見ることのできたこの中央画面には,聖母子はもとより,三位一体を象徴する三本の窓枠のあるバルバラの塔や,その窓から見える聖体,ヨハネのもつ聖杯,神との合ーを約束する神秘の結婚など,ミサに関わるモチーフが散りばめられている。したがって中央画面の主題は,フォスも述べるように,救済を祈願するミサと考えてもよかろう。中央画面に見られる様々なミサのモチーフの中で,しかしながら,視覚的に最も突出しているのは,何よりもく聖カタリーナの神秘の結婚〉である。これはキリストによる指輪の授与という動きのあるモチーフに加えて,カタリーナの着る,突出的な赤と白の配色がまず観者の目に飛び込んでくるからである。斬首後身体から乳が流れだしたという伝説をもつカタリーナには,血と乳の,赤と白の色彩のシンボリズムがつきまとう。これはまた,神秘の結婚と極めて関連の深い「雅歌」の中でうたわれる,バラと百合の色彩のシンボリズムとも重なり合う。画面上でカタリーナの衣服の赤と白は,慈愛を表す聖母の緋の衣,死を暗示する幼児が敷く白い布という,聖母の喜びと悲しみとを表す赤と白のシンボリズムヘと引き継がれる。さらに,右の天使の白い修道服から福音書記者の緋の衣へと続き,右上がりの対角線に沿った赤と白の流れが,画面を貰く。この延長上にく神の国〉のヴィジョンが浮かび上がる。すなわち赤と白の色彩に導かれる流れは,明らかに神秘の結婚から神の国へといたる意味上の流れと一致するのである。福音書記者は,一説によればマグダラのマリアとの婚約を破棄し,キリストとの霊的な結合を選んだと言われ,何よりも童貞であることが讃えられた人物でもある。また,指輪の授与という動作も,差し出されるカタリーナの指先ばかりでなく,奏楽天使の右手,楽器上部の斜線,そして,洗礼者の右腕による視線誘導によって,観者の視線をまず引きつける。-174-

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