鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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ヽノ式的要素を認めることができるが,図像的には上にあげたようなフランドル,ケルン中心とするライン下流地域に見られたく聖人たちに囲まれた聖母子〉の伝統に,その源泉があったように思われる。メムリンクの創意は,これらの様々な伝統を組み合わせ,二人のヨハネと聖母に捧げるという寄進の目的を明らかにしながら,<カタリーナの神秘の結婚〉というモチーフを通して,聖餐の奥義をより説明的に構成し,造形化した点にある。聖職者の間では,聖女たちのみならず,男性聖人も神の花嫁であると了解される中で,カタリーナの指輪の授与という世俗的かつ具体的なモチーフに主要な役割を与えることで,この画面をよりわかりやすく説明的なものとしているのである。聖職者たちの寄進による作品ではあるが,寄進者のうち尼僧たちの理想として描かれているというだけではなく,一般の病人を広く受け入れていた聖ヨハネ病院では,より具体的なイメージの方がよいという判断があったのかもしれない。しかしながら,神秘の結婚を指輪を用いて表したのは,メムリンクが初めてではなかった。十五世紀初頭から,イタリアやボヘミアにその造形的な先例が見られ,ケルンやフランドルにもそのモチーフは登場する。また,神秘の結婚の考え方は,早くも三世紀に書かれた「雅歌」の注釈書の中に見られるが,ラテン文化圏でのカタリーナ伝説の基礎となったのは,九世紀に皇帝バジルニ世によって編纂された「メノロギウム・バジリアヌム」の記述を脚色した,十世紀のアタナシウスの著述である。これが穏々な国におけるヴァージョンを生み出していくのである。中でも興味深いのは,カタリーナの神秘の結婚の具体的な詳細を含む,現存する最初の文学的源泉は,フィリ<聖人たちに囲まれた聖母子のある三連祭壇画〉(中央)1410年頃中央画70X32.5cm ハインツ・キステルス・コレクション,クロイツリンゲン図5「聖ヴェロニカの画家」(活動1395-1415)-177-

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