キーファー自身,作品におけるイロニーの重要性を以下のように語っている。「私はもっとも崇高なこと,ユーモラスなことを語ろうとするとき,どうしてもイロニーの要素を用いざるを得ない。なぜならわれわれは完全に無垢なもの,ものごとの究極なあり方を知り得ないからだ。したがってイロニーにもどり,これが作品を作る動機になり,世界を見,感じる一つの方法となる」(注5)。ここでパリ現代美術館所蔵の《至高なる存在へ》[図5]を観てみよう。暗闇に包まれひっそりした室内は,すでに指摘されているようにレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を想起させる。正面の3枚の窓,格子状の天井や側面の壁,そしてわれわれの視点を奥へと導く遠近法を駆使した空間描写は《最後の晩餐》に類似する。しかし,《最後の晩餐》がキリストを中心とした世界観にもとづいたきわめて神聖な空間を表しているのに対して,キリスト教的神の不在を印象づけるキーファーの作品は,明らかにニヒリズム以降の中心喪失の世界観を漂わせている。題名に反し,至高なる存在の欠如。一見,シンメトリカルな古典的構図でありながら,その安定性を内側から裂すかのような表面の粗雑さ,厚く塗られた絵具。無造作に木版画を画面に貼り付ける手法が取られている。内容と表現に,キーファー独得のイロニーが含まれている。彼の言う「崇高とイロニー」の世界観はロマン的イロニーを初彿させる。非神話化した現代世界においていかに崇高を表現できるのか。キーファーの作品は,イロニーのこの点における効果性を物語っているように思われる。図5アンゼルム・キーファー《至高なる存在へ》1983-188-
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