ヽヽノゲルハルト・リヒターのイロニー現代のロマン主義として,昨今比較対照される,リヒターの作品を考えてみよう。作者自身がロマン的と0乎ぶ風景画のシリーズがある。たとえば《コーブレンツ近郊の風景》や《フベルラート近郊の風景》[図6]だが,前者のライン川沿いの緑なす丘陵,後者の夕暮れの空は,美しい自然の姿を表し,自然のなかに超越者の存在を主張したドイツ・ロマン派の世界を思わせる。リヒターの描く風景は,空が大地を圧倒した,人間不在のフリードリヒの世界である。あるいは「神」や「死」の伝統的な象徴である《ろうそく》や《頭蓋骨》の作品群だが画家のアトリエという即物的な現実空間のなかに,あらゆる装飾性を拒否した対象としてろうそくや頭蓋骨が描かれる。しかし,リヒターの作品がフリードリヒの風景画や,伝統的な宗教絵画と異なるのは,モデルとしての写真の使用であり,写真のような描法である。それも,絵筆によるぼかしによって描かれた写真の映像は,逆説的に「再アウラ化」される。こうして《ろうそく》や《頭蓋骨》は,写真の現実性を超えて,精神性をも帯び,メメント・モリの辞を暗示するに至る。リヒターは神秘化について,以下のように言及している。「ある事象を記述する,計算書を作成する,あるいは木を撮影するとき,われわれはモデルを作っている。これらのモデルなしには,現実の何も知り得ないし,われわれはただの動物にすぎない。拉象的な表象は仮構のモデルである。みることも描写することもできないが,その存在を推測できる実在を直感的に理解させてくれるからである。われわれはこの現実を,不可知なもの,不可解なもの,無限なものといった否定的(消極的)概念Nega ti vebegriffe で表す。われわれは何世紀にもわたって天国や地獄を含め,代用の画像において,こ/ 図6ゲルハルト・リヒター《フベルラート近郊の風景》1969-189-
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