意味を示すと思われる。なぜなら菅江は特徴的な「の」の字を書いた人物として知られ,画賛等に見る湖鯉鮒の文字には書も菅江に学んだ形跡が認められ,彼もまた菅江に似せた「の」の字を書いているからである。肉筆画と類似した構図で描かれた摺物二点は共に山の手側の摺物であり,肉筆画と摺物の制作時期も近い。以上の諸点からして,「柳下傘持美人図」は山の手側に関係した人物からの依頼により北斎が描いた作品と推測される。おそらく摺物が配られた後,女性のみを取り上げた肉筆画が改めて北斎へと注文されたものであろう。「柳下傘持美人図」の画面上部には不自然な余白がある。明らかに後の着賛を意識した余白であるが,画賛は記されずに現在迄残された。仮に賛者を想定するならば便々館湖鯉鮒が有力視されよう。実際,湖鯉鮒の着賛は「山部赤人図」(ジェノバ東洋美術館蔵)にみられ,落款は「画狂人北斎画」に朱白連印「辰」「政」を有し,「柳下傘持美人図」と同時期の制作と見なされる。或いはこの余白が意図的に空けられた状態のものならば,作品は山の手側狂歌会の場に掛けられ,狂歌師達か賛を想定し,狂歌の着想の拠り所として鑑賞したものだったに違いない。図6、r -10 -図7
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