の15点のモノクロームの作品から構成されている。このように警察写真を素材にする9) ドイツにおいて,時代や社会への視点として,イロニーに芸術の機能を追求したリヒターの作品の社会的・現実的視点は《1977年10月17日》でもっとも論議の的となった。この作品は赤軍派RAF(バーダー・マインホーフ・グループ)の中核的メンバーの,逮捕からシュトゥッツガルトーシュタインハイム刑務所での自殺までを中心に描いている。マインホーフの少女時代のあどけないポートレート,逮捕の瞬間,銃が隠されていたレコード・プレイヤー,このテロリストたちの自殺の場面,埋葬など先駆的な作品として,アンディー・ウォーホルの指名手配の犯人像や事故をテーマにしたシルクスクリーンをあげることができる。しかし,ウォーホルが映像の明瞭さや反復によって,犯人や事故を「物化」し,素材のメディア性を強調しているのに対して,リヒターは映像を不明瞭にすることによって,むしろこのようなメディア性を否定している。さらにウォーホルの作品がその明確な直接性によって感清移入を拒むのに対して,リヒターの作品のぼかしはアムマンが「精神的な霧」とよぶような特殊な心理的効果さえ生じさせている。リヒターの社会批判,あるいは写真のもつ現実性への執着,“ぼかし”という異化の視点は,ハートフィールドのフォト・モンタージュに連なる。一方,世俗的で平凡な観光用のパンフレットという有限の現実から,神秘という永遠の無限を風景に捉えようとするリヒターの姿勢には,ロマン的イロニーの逆説的論理が,今世紀においても働いていることを示している。リヒターの作品にも,異化とロマン的イロニーのドイツ特有の融合を結論できるのではないだろうか。結び「芸術家の役割として道徳的,社会的義務や責任が伝統的に大きな位置を占める」(注のは,ドイツ・モダニズムの一つの特色であった。イロニーは「本来反省の構造を有するもの」であり,批判的思考へと導くひとつの知的操作と考えられたからである。イロニーの深さはなによりも認識と反省の深さである。キーファーやリヒターの作品の錯綜したイロニーは,崇高なるものや神秘性への探求を含めて,現代という現実とその偽らざる認識にもとづいている。ますます現代の矛盾が露呈する今,こうしたドイツ美術は,芸術を超える示唆を与える芸術として,意味を得るに違いない。-191-
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