を19世紀末から「ジャポニズム」と言う言葉で表現し始める(注3)。1881年に「日本帝国展示館」(Pabell6nImperial J a pones)が,コルツ・カタラネスル(CasaVidal),カサ・リブレ(CasaLlibre)などの店も日本の芸術品の販売を行1881 -1973),彫刻家のクララソ(Claras6),リカルド・カナルス(RicardCanales, 1876-1931)や先に述べた芸術家も,バルセロナの「四匹の猫」に集まりここで日本のであり,多くの場合,芸術家の家系ではない。日本の影響は装飾にも見られ,バルセロナのラ・ランブラス通りにある現在サバデル・カイシャの事務所になっている建物カサ・ブルーノ・ケアドロス(CasaBruno Cuadros, 1883-1885年建設)は,かつては傘屋であったが中国の装飾モチーフと浮世絵の影響を受けたものが混在する。通りに開かれたが,武具,皿,屏風日本風装飾品などさまざまな日本の芸術品が展示された。これは,マリスタニ,モラガス,ウルヘレスの行ったことで,当時記事が残っているだけである(注1)。絵を含む日本の芸術品を販売する為展示会を何回か開いている。フェラン通り,レロヘリア通り,クレジット通りにあるカサ・ブスケッツ(CasaBusquets),カサ・ビダっている。これから見ると,日本の影響がバルセロナに到着したのは,日本館が最も人気を博したと新聞が伝えるバルセロナ万国博覧会の約十年前であろう。この地方の近代主義の芸術家たちは,フランスの芸術家と交流があったものも多く,日本の美に魅かれてコレクションを持ったもののフランスの芸術家程大きなコレクションを持つには至らなかった。マスリエラ兄弟,アペル・レス・マストレス,アレハンドレ・デ・レケル,アングラーダ・カマラサ,サンティアゴ・ルシノル,イスマエル・スミス(IsmaelSmith)などは比較的大きな版画の収集をし,画家イシドレ・ノネル(IsidreNonell, 1873-1911)は批評家ライモン・カセジャス(RaimonCasellas) に宛てた手紙の中でパリで見た浮世絵の感想を述べている(注2)。しかし,カタルーニャ美術館に現在あるカセジャスの素晴らしい絵のコレクションに浮世絵があったか否かは明らかではない。カセジャスはカタルーニャの芸術家の作品に見える日本影響ラモン・カサス(RamonCasas, 1866-1932),若きパブロ・ピカソ(PabloPicasso, の影響を受けたのである。製作日は分からないものの貞奴の肖像画を描いたカサスのポスター,カナルスやノネルの初期の作品,ピカソのこの時期の作品のいくつかに,浮世絵のコレクションを持たなかったと思われるにもかかわらず,明らかな日本の美その数年前の1878年に芸術品の仲介人ジョアン•B・パレス(JoanB. Pares)は,-202-
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