鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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゜フェラン通りに工房を持っていたこの兄弟のデザインした宝石には明らかな日本のイチビトし、ativas del Palacio de Pedralbes)(注4)に展示されていたが,スペインの市民戦争Academia de Bellas Artes de San Fernando)に入学する際「ヨーロッパの芸術にMarsal, 1838-187 4)は浮世絵版画や本を持っていたようである。主にアラブのもの1902)とジョセプ・マスリエラ・マノベンス(Josep Masriera Manovens, 1891 -1912) (1936-1939)後に持ち主に返却されたかその他の美術館に移管された。18世紀の浮フランセスク・マスリエラ・マノベンス(FranceseMasriera Manovens, 1842 -の集めたマスリエラコレクションが現在どうなっているのか分からなかった。バルセロナ出身の金細工師であり,弟は画家でもあった。極東の美術品はペドラルベス王宮の装飾芸術博物館の「マスリエラの部屋」(SalaMasriera, Museo de Artes Decor-世絵版画があった旨の文書(注5)は残っているものの,その数については分からな影響が出ていた。ジョセプは1884年にサン・フェルナンドの王立美術アカデミー(Realおける日本の美の影響」という講演文を書いている。その息子でやはり画家であったルイス・マスリエラ・マノベンス(LluisMasriera Manovens, 1872-1958)は「和風日傘」という絵の中で日本芸術の影響を見せており,この絵は日本でも展示されたといわれている。画家ジョアン・ロイグ・ソレル(JoanRoig Soler, 1852-1909)はカタルーニャで光豊かな画風を始めた人物であり,約15枚の浮世絵版画のコレクションを所有していたか,広重1枚,歌麿1枚,国貞数枚,上方絵の絵師市人1枚が特筆すべきである。このコレクションには,恐らくパリ滞在中に浮世絵版画とともに入手したトゥールーズ=ロートレックのグラフィック作品も保存されている。残念ながら,このコレクションは最近分散してしまい全部を見ることはできなかったもののかつてのコレクションの作品を写真で見ることができた。東洋のものを収集していたマリアノ・フォルトゥニ・マルサル(MarianoFortuny を集めていたようであるが,ローマのビッラ・マルトニにある彼のアトリエを写した写真何枚かには幾つかの日本のものが写っている。彼のすばらしい作品である「和室に居る芸術家の息子たち]を見れば日本の芸術に対する彼の興味がうかがわれる。ロサ・ビベス教授によれば1869年パリ滞在中に浮世絵版画を入手したいとする気持ちもその現れであった。ミゲル・イ・バディア(Migueli Badia)によれば,実際に浮世-205-

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