ヽヽノ⑳ 1904年から1906年にみられるアンリ・マティスの様式変化の考察1)はじめに2)《豪奢,静寂,逸楽》の様式の特徴と新印象主義との関わり1904年の夏をマティスはサン・トロペでシニャックやクロスといった新印象主義の研究者:大阪大学大学院文学研究科博士課程後期大久保恭子アンリ・マティス(1869-1954)が1904-05年に描いた《豪奢静寂,逸楽》[図1]は,新印象主義の中心的人物であったP.シニャックが採用したモザイク状の小色面によって画面を構成する技法にのっとって制作された。発表の後にこの作品はサンボリストで批評界に強い影響力を持っていたM.ドニによる厳しい批判にさらされた。そしてその一年後マティスは《生きる喜び》[図2]を発表する。原色の色面で覆われたこの作品と《豪奢,静寂,逸楽》との間には様式上の大きな違いが認められる。これに対して当時の批評家の多くはマティスの作品に一貫性がないことをもって批判した。しかし,《豪奢,静寂,逸楽》から《生きる喜び》にいたるマティスの様式の変化は,その後に形成されたマティス独自の様式を考えるなら,むしろある一貫性をもって意図的に行なわれたものであったと考えられる。1904年から1906年にかけてマティスの絵画の様式に豹変をもたらした事由を,当時のパリの芸術界の諸相と照らし合わせて考え直してみることによって,マティスの初期の活動における絵画観の形成過程の重要なー局面を明確にすることができると考える。画家たちと過ごした。夏の終わり,マティスは浜辺を散歩する夫人と息子をモデルにスケッチ風の作品《海辺にて》[図3]を描いた。そしてパリに戻るやこの作品をもとに《豪奢静寂,逸楽》の制作に取りかかった。完成作品では《海辺にて》において/ 図lマティス,《豪奢,静寂,逸楽〉,1904-05図2マティス,〈生きる喜び〉,1905-06-210-
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