みられた印象主義の影響を受けた筆触は消え,シニャックやクロスが用いていたモザイク状の小色面によって構成された画面を持つ作品となった。主題は浜辺に憩う浴女たちであるが,《海辺にて》で描かれたマティス夫人がそのままの形で,息子も変化した形ではあるが完成作に姿を止めていることを考えるとこの作品には実は浴女という古典的な主題と,現実の描写つまりモデルニテという次元の違う主題が奇妙に併存していることに気付く。しかし人物たちは前景にまとめられて互いに関連をもたされることで連続性が与えられ,さらにマティス夫人と浴女の前に広げられたピクニックの道具によってひとつの物語が与えられたために,完成作のみを観る観者は主題の持つ複合性に違和感を覚えないのである。シニャックの作品の多くはモデルニテを主題とすることによって,印象主義の伝統を受け継いでいたことと比較すると,マティスはシニャックとは一線を画していたということに気付く。マティスが新印象主義との間に距離をおいていたことは,その技法の適用の仕方において一層明確となる。スーラの没後,凋落の一途を辿りサンボリスムに主流を譲った新印象主義のグループを束ねていたシニャックは,1898年に「ウージェーヌ・ドラクロワから新印象主義」を書いた。彼はこの文章の中で新印象主義をドラクロワに始まるフランス絵画の伝統を受け継ぐ正統な後継者であると位置付けた。また新印象主義の科学重視の姿勢は印象主義の遺産であるところの筆触の分割をあやふやさから救い,分割主義は色,光,調和を保証する手段のみならず,新印象主義を特徴づける概念であるとした。そして新印象主義は印象主義の発展した形であると定義したのである。シニャックはこの文章を発表することで19世紀末のパリの芸術界における新印象主義の価値付けを行ない,図3マティス,《海辺にて》,1904-211-
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