鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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っていたと言える。ここで念頭におくべきことは,マティスは新印象主義そのものに心酔して彼らに合流したのではなかったということである。そうではなくマティスにはセザンヌの理解の獲得という目的があり,新印象主義の理論の実践はそのために必要であったとするなら,マティスの行動は批評家たちの言葉に反してきわめて合理性を持つものとなるのである。逸楽》においては必ずしも教則に従ってはいなかったことは先に述べた。シニャック[図6]はモザイク状の小色面を規則正しく積み重ね,画面のどの部分を取ってみても筆触が均ーであるように表面を組織していた。隙間なく埋められた絵画表面は,伝統的な絵画表面のもつ透明性とは反対に不透明となり,表面そのものの存在が強調されることになった。シニャック自身述べたように小色面は模倣性よりもそれ自体の抽象性を主張し,自己指示性を有するに至った。シニャックは表面のこうした性質を保持するために対象に色価で肉付けを施すことを控え,形態を単純に捉えようとした。ところがその一方でシニャックは対象をあくまで空間的なイリュージョンの中に配置していたのである。このためにシニャックの作品では絵画表面と対象のイリュージョンとが分離するという結果を招くことになった。このことはシニャックの絵画理論と実践との間に亀裂があったことを物語る。シニャックは基本的に写実主義の範疇に止まったのである。一方マティスの筆触は方向も大きさも一定ではなかった。シニャックの作品には輪郭線や肉付けがみられないのに対して,マティスは人物を輪郭線で囲み,色価による肉付けを施している。このようなマティスの恣意的な新印象主義の技法の適用の陰には,セザンヌの存在が推測されるのである。マティスが所有していたセザンヌの《三人の浴女》はシニャックがセザンヌを分割1899年に初めて新印象主義の技法を用いた時とは異なり,マティスは《豪奢,静寂,図6シニャック,《サン・トロペ港の夕暮》,1902-214-

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