主義者の中にいれたことからも分かるように分割した筆触で構成されている。セザンヌの筆触は小さく分けられ,規則性をもって用いられている。人物も木も同じ視覚的な強さで捉えられることからこの作品の表面には弱いところ,窪んだところがなく,調和が保たれている。セザンヌの場合ひとつひとつの筆触はシニャックも分析したように,色彩と形態の調和を取りつつ熟慮のうえで配置されている。彼は色彩を形態を形づくる力をもつものとして捉えているのである。その筆触において色彩は形態の構成要素として素描と同格の力を持っている。結果としてセザンヌの作品の絵画空間はイリュージョニスムに依ったものではなく別種のものとなった。セザンヌの作品では小さな色面によって構成された絵画表面と色彩のコントラストによって形成された対象の物体性の表現とは分離することなく,総合されているのである。マティスが《豪奢,静寂,逸楽》で志向したのはセザンヌであった。それは,1904年の夏,サン・トロペでマティスが新印象主義者たちと検討したベルナールのセザンヌ論の中に収録されていた,セザンヌの「素描と色彩とは分けられない」という一文が議論と実践の対象となったと考えられることからも推測できる。しかしこの作品においてマティスはそれを実現することはできなかった。《豪奢,静寂,逸楽》の浴女を仔細にみるとマティスは小さな範囲内でシニャックの用いたモザイク状の小色面を用いて,肉付けや光が反射して生じた色彩などの細かな叙述を盛り込もうとしていることがわかる。しかも濁りのない純色を用いたために隣り合う色彩への移行は唐突で画面全体を観ると,マティス自身の回想による「飛び跳ねる表面」となってしまった。この結果を招いた原因はマティスが色彩の使用においては模倣から解放されたにもかかわらず,人体の物体性の表現や絵画空間の構成においては写実主義的伝統の範疇に止まっていたことにある。これはマティスの満足のいく結果ではなく,彼自身不本意を隠そうとはしなかった。1905年マティスはシニャックにあてた手紙の中で,《豪奢静寂,逸楽》について自己批判を行なった。「素描の性質と絵画の性質との完全な一致を発見しましたか」。マティスがその一致をみたのがシニャックの作品においてではなくセザンヌであったことは言うまでもない。しかしマティスの新印象主義の経験は無に帰した訳ではなかった。マティスはシニャックの制作過程から重要な概念を読み取っていた。シニャックは完成作の直前に原寸大の下絵を作った。この方法そのものは伝統的なものであるが,シニャックがそれを用いた目的と意味は全く異なっていた。シニャックは伝統的な方法に従って小さな-215-
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