鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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4)《豪奢,静寂,逸楽》と《生きる喜び》スケッチを拡大して大画面に移行させることは,線と色彩の効果を変えてしまうことになるとして否定した。なぜなら線も色彩も隣接関係によって規定されているからである。原寸大の下絵を用いるというシニャックの方法には線も色彩もそれを取り囲むものとの関係によって意味を成しているという新しい考えをみることができる。マティスがシニャックに学んだものは実はモザイク状の小色面による絵画表面の構成ではなく,構成要素の相対的な捉え方であった。そしてこの経験がマティスのセザンヌに対する理解を大きく前進させたのである。家の批判の的となった。その理由のひとつはマティスの様式の変転にあった。わずか一年前に発表した《豪奢,静寂,逸楽》を知る人々はこの作品に見られる変化に当惑したであろうことは推測できる。この豹変をもたらした事由のひとつとして1905年夏,コリウールでマティスはA.マイヨールを介してゴーガンの友人,D.モンフレエの知己を得たことが挙げられる。モンフレエはゴーガンの晩年のタヒチでの作品を多数所有しており,またゴーガンの私信の類も保管していた。その夏マティスがドランたちフォーヴの仲間とこれらを見議論を重ねたことは事実である。原色の平坦な色面の使用やアラベスクの曲線を用いて捉えた対象の表現にはゴーガンの影響を見て取ることができる。そして当時からそのように捉えられたからこそ,この作品はシニャックの逆鱗に触れ,サンボリストを含む批評家たちからはマティスは一貰性を欠くと批判されたのである。しかしマティスの様式の変化の意味を画面に現われた特徴からのみ判断することは,この変化を支えたより重要な側面を見落とすことになると思われる。ふたつの作品の間にある変化の意味を問うには新たな視点に立って考えることが必要ではないだろうか。つまり《豪奢,静寂,逸楽》と《生きる喜び》との相違に着目するのではなく,共通点に目を向けて完成作品のみならずそれを取り囲む状況をあわせて考えることが必要であると考えられる。そうした視点に立つと,このふたつの作品には制作過程の類似という実践的な次元における共通点がみえてくる。両作品とも現実の目の前の風景,人物を描いた作品が出発点となっていた。マティスはそれをもとにいくつかの習作を重ね,完成作の直前に原寸大の下絵を作った。この原寸大の下絵を用いるという制作方法はシニャックに学んだものであり,しかもこの方法はこの後1906年のアンデパンダン展にマティスが出品した《生きる喜び》はまたしても批評-216-

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