7]をもとに水彩の習作[図8]を描き,続いてペン習作[図9]'油彩の習作を二点ごくわずかな例外を除いては用いられなかったということは,両作品が一貫した方向性を持って制作されたことを物語ると考えられる。《生きる喜び》の制作過程を順を追ってみてみると,まず《コリウールの風景》[図[図10,11], クレヨンの習作[図12],原寸大の下絵を経て完成作に至っている。これは《豪奢,静寂,逸楽》の制作過程と大筋で一致している。ところが,ここで注目に値する相違点に新たに気付く。それは《豪奢,静寂,逸楽》にはみられない,《生きる喜び》における段階的習作の中の一点目の油彩習作の存在である。マティスはペン習作で構図の主要な要素を決定した後に,油彩習作においてその構想を色彩のバランスに置き換えて試している。そして次の段階で輪郭線が描き加えられることによって形態が画面に現われる。ここにおいては伝統的な制作の過程,つまりまず素描があって次に彩色が行なわれるという手順が逆転しているのである。ここにみられるのはマティスの素描と色彩に対する考えの飛躍的な進展である。彼は素描と色彩とをもはや対立的に捉えてはいない。そうではなく,形態を色彩の量に還元してとらえることにより両者に互換性を持たせようとしている。マティスは伝統的な素描と色彩の対立的価値付けを解体し,双方の分離を総合するための確かな一歩をふみだしているのである。1904年にマルクスは,セザンヌがマティスに与えた影響を「新しい総合……単純な色調,幅広の色面の筆触」にみていた。ここに当時のサンボリスト達のセザンヌ観とセザンヌとマティスの関係についての彼らの解釈とをうかがうことができる。そしてセザンヌの晩年の未完成と見紛う作品[図13]に,マティスの習作の先例をみることができるのである。マティスがヴォラールの店でみる機会をもったと思われるこの作品には,セザンヌが色彩を形態を形づくる要素として捉えていたことが示され,素摺と色彩とは対立するものではなく,ひとつの筆触に双方を総合させることが可能であることが明確に呈示されている。彼は対象の物体性を色彩のバランスに置き換えて捉えているのである。これゆえにセザンヌの作品では絵画表面と対象の物体性の表現とが総合されえたのであり,結果として非伝統的絵画空間が現出されていたのである。新印象主義の実践を通して絵画の構成要素の相対的な捉え方を身につけたマティスは,セザンヌ作品の持つ意味の理解,つまり形態を色彩の力のバランスにおいて捉えるという視点を習得したものと思われる。《生きる喜び》の習作に認められる色彩と素描の総合に向けての試みは,マティスがサンボリストが形成していたセザンヌ観を明らか-219-
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