鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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5)おわりに;マティスの志向した「総合」の意味に一歩出て,セザンヌの作品を造形的視点で見ていたことを示しているのである。この色彩と素描に対するマティスの新しい考え方の獲得と実践こそ《豪奢,静寂,逸楽》と《生きる喜び》に通底し,その後のマティス独自の絵画観形成の根底をなすものとなるのである。ドニをはじめとするサンボリストの批評家たちは《生きる喜び》の批判を行なった。モリスの「ゆきすぎた総合」という言葉,あるいはヴォークセルの「総合は長く骨の折れる分析に先導されなくてはならない。単純さと不十分さとを混同してはならない」という文章から,彼らの批判はマティスの「総合」の在り方に向けられていたことがわかる。「総合」という言葉はそもそもサンボリストによって唱えられた理念を表すものであったことを思い出すなら,彼らはマティスにみられた「総合」の変質を批判したのであると推測できる。確かにマティスにおける「総合」はサンボリストの理念とは一線を画すものとなっていた。彼は新印象主義の経験やセザンヌを理解することによって身につけた造形的視点に立って,色彩と素描とを総合することを目指していたからである。しかしその結果としてマティスが実現する「総合」の性質はセザンヌと同質のものではなかった。マティス独自の「総合」の実現には,ゴーガンとの関わりが重要な意味を持つ。これについては今後の課題としたいと思う。《豪奢,静寂,逸楽》から《生きる喜び》にかけての様式の変化はマティスにおいては,19世紀の伝統をマティス独自の様式へと吸収,総合する過程であり,20世紀の絵画の流れにおいては,造形的視点で捉えた絵画の誕生に向けての胎動であったと考えられるのである。図13セザンヌ,《曲がる道》,1900以降-220-

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