鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑪ 紙師宗二と江戸初期の木版料紙装飾研究者:福岡市美術館学芸員都築悦子はじめに江戸時代のはじめ,慶長年間(-五九六〜一六ー五)から寛永年間(一六二四〜一六四四)にかけて,本阿弥光悦(-五五八〜一六三七)の,あるいは,光悦流の書が見られる書巻が数多く制作された。それらの多くは,肉筆あるいは木版による,花舟や花鳥の豊麗な下絵を有する。肉筆によるものは金銀泥,木版によるものは金銀泥あるいは雲母が用いられている下絵は,いずれもおおらかで面的な表現がなされており,それ以前の,あるいは同時代の料紙装飾とは,その表現に明らかな違いが看守される。当時はまた,木版で雲母を顔料として模様を刷りだす「唐紙」が料紙として復興してきた時期でもあった。これらの書巻や類似する特徴を持つその他の料紙については,山根有三先生を中心に精密かつ広範な研究がなされ,国華杜編『光悦書宗達金銀泥絵』(昭和五十三年・国華社刊)(以下,「国華編」と称する)に網羅的に紹介された。そして「国華編」によって明らかになったことのひとつが,肉箪下絵巻子本と木版下絵巻子本の両方に,「紙師宗二」という陽刻の長方印が,紙背の紙継ぎ部分に捺されている書巻が少なからず見られるということである。「紙師宗二」印が残されているのは,肉筆金銀泥下絵書巻二金銀泥刷下絵書巻三雲母刷書巻の三種類であり,紙師宗二はこれらに深く関わったと考えうる。光悦の書のある料紙の下絵と宗二との関係は,従来から指摘されてきた。ことに,宗二を木版の料紙の刷りの担当者と見なすことは,現在研究者の意見の一致するところである(注1)。また,肉筆下絵の筆者ではないにも関わらず,肉筆本にも紙縫にその名をとどめているということは,当時「宗二」の名に高い価値があったと考えられる。しかし,肉筆下絵,あるいは版下絵の筆者であるとされた,古くは本阿弥光悦,現在では俵屋宗達の影に隠れて,紙師宗二の仕事についての詳細な研究はほとんどなされてこなかった。-221-

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