れた料紙を繋いだものである。しかし,残りはまず紙を繋いでその後に刷りが施されている。それらはいかに長大でも基本的に一枚の紙であるので,必然的にひとつのエ房で制作されたことになる。そこで,慎重を期して前述のく版l〉く版5〉の二点を除く十四点から,宗ニエ房の版木を列挙する。版木の名称は,「国華編」所収の山根有三先生の論致「光悦書宗達絵金銀泥絵の成立と展開」の名称に準拠した。また,藤,梅,蔦の版木の図様については,中部義隆氏の論孜「木版金銀泥料紙装飾について〜版木とその活用法を中心に〜」(『大和文華』第八十一号・平成元年)に提出されたものに準拠している。その結果末尾の版木リスト1のように下絵の版木が十九種類,紙背模様は四種類の版木が確認し得た。先ほど,刷りの後に紙を繋いで制作されたものとして保留した<版1〉く版5〉に関しては,<版1〉が「芍薬(A)」「芍薬(B)」を,<版5〉が「梅」「均薬(A)」「雌日芝」「太竹」「細竹」「蔦」を使っていることから,これらも,宗二工房内であらかじめ一紙毎に刷りを行ない,紙継ぎかなされたということがあきらかである。このく版1〉と〈版5〉は,「紙師宗二」印ある巻子本のなかでも,雲母刷で刷りをしてから紙を継ぐという,他本にはない特殊な条件を備えたものであり,これらの刷りと装灌が宗ニエ房内でなされたということは,興味深い知見をもたらす。<版1〉に関しては,第三章に取り上げるのでここでは触れず,<版5〉について述べてみたい。<版5〉の紙背には,ー紙ごとに波や麻の葉,雷文蔓牡丹の模様が刷りだされている。このく版5〉の伝統的な連続模様は,光悦謡本に同じ図様が見られる。また,料紙の寸法も,ー紙がちょうど謡本見開き一頁の大きさに近い。光悦謡本は,慶長十(一六0五)年頃から刊行され始めたと考えられる,光悦流の古活字を有する謡本で,雲母刷による美麗な表紙や本文料紙で名高い。これは角倉素庵(-五七ー〜一六三二)が開版したとされる,いわゆる嵯峨本の一部であると考えられている。光悦謡本に関する詳細かつ包括的な研究は,江島伊兵衛先生・表章先生による,昭和四十五年に有秀堂より刊行された『図説光悦謡本』に集大成されている。本文および資料で使用している,光悦謡本の版木の名称は,『図説光悦謡本』に準拠する。光悦謡本の雲母刷には,宗二印のある木版巻子本と同様,版木の一部省略や,複数版の組み合わせ,反復刷りなど版木の特殊な活用法が見られることが注目される。また,その図様と一連の巻子本の図様の類似性が,注目されてきた。-224-
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