ただし,「光悦謡本」の雲母刷りのすべてが,一つの工房で制作されたと考えられているわけではない。そこで今度は「光悦謡本」の版木の中で,版木を工房別にグループ分けしてみよう。『図説光悦謡本』に掲載されている図様を版木単位に還元すると,七十二種類百二十三枚の版木が確認できる(注5)。「光悦謡本」の料紙の中から,複数の版木の組み合わせでできた図様を集めることで,どの版木とどの版木が同ーエ房に存在したかが特定することができる。例えば,「桜樹と高松」や「桜樹と蜻蛉」は,それぞれ二枚の版木を組み合わせてできた図様であるが,これらから「桜樹」と「高松甲」と「水に蜻蛉」は3枚とも同一のエ房に存在したといいうる。それらをまとめることで,ひとつの大きな版木グループを見いだし得た。資料2の版木リスト3と4を参照していただきたい。版木リスト4に,最も大きなグループの版木十一枚を列挙している。リスト4の十一枚の版木の中には,<版18〉の「一六九右傾藤枝乙」や,<版15〉の「六五水に蜻蛉(甲)」が見られる。このことから,これらも宗ニエ房の版木であるということがわかる。以上の結果を総合すると,四十九枚の版木が,最低限確実に宗ニエ房の所蔵のものであることが判明した。また,そのうち十六枚が「光悦謡本」と同じ版木であることがわかった。約百二十枚のうちの十六枚といえば,大変少なく感じるが,種類別で考えれば七十二種のうちの十六種,すなわち五分の一強を占めることになる。宗二の工房が「光悦謡本」の雲母刷の一部を担当していたことが確実なのであれば,<版5〉の麻の葉や波の紙背模様も宗ニエ房で刷られた可能性が高いといえる。以上のように,「光悦謡本」の雲母刷を担当したのは,紙師宗二の工房であることが明らかになった。もちろん,現在のところ,その一部を担当したといえるに過ぎない。しかし,「光悦謡本」のアート・ディレクターとしての光悦,あるいは宗達の名前に隠れてきた紙師宗二が,実際の料紙の制作を担当したことは,今後「光悦謡本」を語る場合に落とすことはできないであろう。(三)雲母刷巻子本の意義前章までにみてきたように,紙師宗二は書巻の金銀泥および雲母刷下絵と,雲母刷の光悦謡本の料紙装飾の一部に担当した。ただし,版木リスト1の版木は,「光悦謡本」には全く使用されておらず,巻子本用と謡本用は使い分けがなされている。-226-
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