「藤」の方は図様が途中で途切れたような不自然さが残るのに対して,「右傾藤枝乙」の図様の方が構図として合理的である。ただし,枝先が巻子の進行方向である左に向かう「藤」の方が,より巻子に用いるのにふさわしい。このことから,「謡本用版木」の「右傾藤枝乙」から,「巻子本用版木」として「藤」が作られた,と考えられる。このことから,<版18〉は,<版1〉く版17〉よりもさらに原初的な形態の,すなわち宗ニエ房で制作された最も初期的な巻子である可能性があると考えられる。むすびこれまで見てきたように,紙師宗二の工房が木版下絵巻子本と光悦謡本の雲母刷料紙との両方を制作したことが判明した。それらは,版木の特殊な活用法において,共通する特徴を持つ。また「紙師宗二」印のある巻子は画面が有機的に展開するという優れた特徴があるが,同工房内で制作されたものの中に,そうした巻子に至る前の前段階と考えうる雲母刷の巻子本が現われた。まずく版18〉のように,「謡本用版木」を部分刷りや反復刷りをした料紙を単純に繋いだものが制作され,<版17〉く版1〉のように,別々に刷りがなされた料紙を繋がれていながら画面が有機的に展開する作品へと進化した。その後,さらに長大な紙に刷りを施すことを可能にする技術革新があって,<版2〉以降の,より優れた画面展開を見せる作品が生まれた,という経過を辿ったと考えられる。かくして,木版下絵巻子本における革新的要素は,刷りの工房,すなわち宗ニエ房の創意工夫から産み出されたと考えられる。今後の紙師宗二研究の課題は,宗ニエ房が所蔵していた版木の範囲を,さらに広範な作品の調査によって広げることと,版下絵作家の特定である。版下絵作家は,現在研究者のなかでは俵屋宗達とされている(注7)。筆者も同意見であるが,数ある版木下絵のすべてを宗達が担当したかどうかについては,検討の余地があるだろう。宗達筆の斬新な肉筆金銀泥下絵および版下絵と宗二が手掛けた他に類を見ない木版刷料紙は,それぞれが相互に影響を与え合って,発展をとげてきたと思われる。その過程をくわしく検証することで,琳派草創期の姿を探ることを,箪者の今後の目標としたい。-228-
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