鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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は既に指摘されているように遺構と「一遍聖絵」に描き表された建物及び伽藍とは形態が全く異なっている。また地形や建物の配置という観点からみると,勿論のことながらあくまでも現在の地形や配置との比較という前提の上での話であるが,おおよその感じは似ているけれども,ひとつひとつを確認していくと納得できないところが間々あった。例えば広島県の吉備津神杜の場合は,厳島神社の分社が祭られている長方形に近い大きな池の前から真っ直ぐに長い参道が続き,1つ目の随神門をくぐると更に参道が真っ直ぐに延び,40段近い石段を登ると2つ目の随神門が現れる。そして本殿の建つ奥の部分に行き着くのである。この奥の部分を絵巻では同じ平面上に拝殿,舞台,本殿の順に縦に並べて描いている。しかし現在の吉備津神社は,まず神楽殿,そして15段程の石段を登った上に拝殿と本殿が建っている。すなわち奥の部分に高低差が付けられているのである。建築様式はそれぞれの時代の様式に従っているために違っていても当然と考えられるが,社殿の位置に関しては神社は古来の配置を守るのが常であるので,この相違は気にかかるところである。「一遍聖絵」の各段の絵を眺めていると,とり上げられているそれぞれの場所の様子が初彿と浮かび上がってくる。この絵巻について実景を見て描いたかどうかという点は重要な問題であるが,見方を変えて,私はそこに実景を表そう,写そうとしたという制作者の姿勢を見出したいと思う。そして私の推測としては,この絵巻制作を担当した工房の中心的存在であった法眼円伊は自身で全国を巡って実際にスケッチをしたのではなく,他人が描いた写生図などをもとにして,古絵図などの資料も使って全巻を完成させたのではあるまいかと考えるのである。この点については今後の課題として更に研究を続けていきたいと思う。(3) 建築描写について建築描写については次の2点を指摘しておきたいと思う。先ず1点は巻1第1段と達上人の房には風呂が付属しており,それは板葺きの切妻屋根の,片側に庇を出している建物の中にある。その建物には,湯を沸かす為の小屋とはね釣瓶のある井戸が付属しているのだが,2つの建物の位置関係が巻1第1段と巻3第3段とでは違っている。どちらが実際に近い描写であるのかは判断できない。ただ巻3第3段に関しては,はね釣瓶で水を汲んだり釜で湯を沸かしている僧達の様子を近接して描き,詞書で述巻3第3段に描かれている福岡大宰府の聖達上人の房にみられる表現である。この聖-239-

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