鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑬ 初期定窯白磁の研究1.定窯の創業① 隋上限説1957年に故宮博物院の陳万里氏らは,曲陽の澗磁村定窯窯址の西1kmの地点で隋の3)。この成果は,なぜか,故宮博物院のI馬先銘氏が1959年に発表した「禿器浅説(続)」研究者:京都市立芸術大学美術学部助教授伊東徹夫はじめに中華人民共和国河北省曲陽県の定窯で焼成された陶磁は,北宋以後,高い評価を受けてきた。北宋においては宮廷で使用されていたし,既に生産をやめていた時代である明・清の宮廷でも保存され,「五大名窯」(注1)の一つに挙げられている。このような評価は主に,製品の品種としては白磁に,また製作年代としては北宋のものに対して与えられている。長く不明のままであった定窯窯址の所在地(澗磁付窯址と燕山村窯址)が,1941年に小山冨士夫氏によって発見された後も,研究者の定窯に対する主な関心は,北宋の白磁に限定されがちであった。しかし,1950年代から1960年代初めにかけての窯址に対する考古学的調査の成果が報告され,定窯の生産が唐から元に及ぶことが明らかになり,ようやく五代以前の定窯に対する研究が始まったのである。ただ,現在に至っても定窯に対する調査研究は十分に行われたとは言えない。初期の様相についてはなおさらである。平成6年度の鹿島美術財団助成金による調査研究は,曲陽県澗磁村の定窯窯址と,その傍らにある河北省曲陽定窯遺址文物保管所,窯址の南東約40kmの所に位置する定州市(注2)の定州市博物館(定歪博物館とも称する),そして石家荘市の河北省博物館における調査が中心となった。定州市博物館では一部の資料の写真撮影が許可された。本報告では,隋・唐を定窯の窯業の「初期」として取り扱うことにした。定窯における陶磁生産の開始の時期の上限については,これを隋とする見解と唐とする見解がある。青磁窯址を発見した。紅土捻窯と呼ばれる高足盤・鉢.碗の資料が出土している(注(注4)や,1960年に陳万里氏とi馬先銘氏が発表した「故宮博物院十年来対古窯址的調査」(注5)では触れられていない。1965年に発表された「中国陶荒考古的主要収穫」-243-

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