鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(注6)の附表である十幾年来調査発掘荒窯遺址索引」において,ようやく定窯の項目に澗磁村窯址などと共に,定窯の一支窯として掲載されている。但し,本文に於いては,「定窯は隋から始まる」というようには明記されていない。その後,この紅土捻窯址は,中国に於ける陶磁史の記述からは消えたままである(注7)。定窯隋創業説もその後しばらくは主張されなかったようであ。ところが,おそらく比較的近年に至って,定窯隋創業説が復活したようである。定州市博物館では,定窯の歴史を概観する展示の解説文において,隋代が定窯の初創期であると明記している。「窯址出土資料と定州・曲陽で収蔵されている墓葬出土器物を比較分類すると,唐代定窯の早期の製品とこれらの隋代器物との間には明確な継承関係が存在することがわかる」,また「隋代は青磁が主であり,黒釉・黄釉・豆青釉がある。釉下は化粧掛けを施してある。さらに,透明釉の粗白磁も焼成している。青磁の胎は厚く重く,質はかなり粗い。青灰色を呈するものが多く,焼成温度はかなり高く,緻密に焼き締まっている。胎の表面は丁寧に仕上げられており,釉面は貫入が多い。粗白磁の胎はある程度白く,釉層の厚い所は豆青色を呈する。釉層の薄い器物は化粧土の乳白色が釉を通して現れ,器表の色となっている。主な器種には,盤・碗.瓶・罐.壷.鉢.唾壷などがある」と記している(注8)。ところが,後述するように,同館館員の劉福珍氏のご教示によると,定窯の創業は「一般論としては,唐初期である」とのことであった。上記の隋の解説の場所に陳列されている資料も,唐初期であるとの見解を示された。河北省博物館研究員の眺苑真氏からは,「定窯の白磁は隋から始まっている。曲陽県の隋墓から白磁の壷が発見されているからである」という内容のご教示を受けた。② 唐上限説前述の1957年の故宮博物員による曲陽県澗磁村窯址の調査(注3)によって,唐の白磁資料が発見された。定窯窯址に対して行われた最初の本格的な調査であった。その報告である「河北曲陽褐釉・黄釉・褐緑釉などの「晩唐」の資料の出土を報告している。器種は,碗.盤が多い。これらの調査が進行する中,北京の故宮博物員の1馬先銘氏は,定窯に関係する論文1960年から1962年にかけての河北省文化局文物工作隊による同窯址の発掘調査は,県澗磁村定窯遺址調査与試堀」(注9)は,細白磁(注10)・粗白磁・青磁・黒釉•黒-244-

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