960■1234)」,「4.衰敗時期(金哀宗から元まで,1234■1368)」の4期に区分していもった碗を挙げ,「唐代後期」の製作であると指摘する。なお,唇口碗で五代に入っても引き続き製作されるが,唐代に比べると唇口の幅が狭くなることも指摘している。氏は,『中国陶荒史』(注12)の中の「定窯与定窯系」に於いては,前書で典型的な唐の形式を示すと記した碗身が45度に直線的に開く玉璧碗を,「唐代後期」の標準的な形式を示すものとし,唇口碗は五代の碗の記述にしか出てこない。李輝平氏と畢南海氏は,「論定窯焼完工芸的発展与歴史分期」(注13)に於いて,定窯の歴史を,「1.初創時期(唐高祖から代宗まで,618■779)」,「2.発展時期(晩唐から五代まで,780■960)」,「3.“独得風格”形成時期(北宋から金哀宗まで,る。唐も含めた時代区分を試みているという点で画期的な論文である。日本で一般的に行われている唐を4期に分ける区分法によると(注16),「1.初創時期」は,初唐・盛唐に中唐の前期までを含んだ期間であるし,「2.発展時期」は中唐の中期から晩唐・五代までの期間ということになる。この「1.初創時期」の資料としては,前章に示した三支釘を用いて焼成された粗磁碗を挙げた後,この時期の製品は碗が主で,胎の質が粗であるなどの特徴を指摘した上で,他の著名な窯の製品に比べて技術が劣るため,文献にも記載が無いのであると述べている。「2.発展時期」は,定窯が青磁から白磁に転換した重要な時期であるとし,邪少11窯の影響で進んだ漏斗状の匝鉢を使用し始めたこと,白磁の釉色が純白な中にも青味を帯びること,那州窯を模倣して玉璧底を採用したこと,唇口碗もあり,唇口は広いものも狭いものもあること,唇口の断面に小穴が通ったものがあること,この種の碗の高台は,玉璧底と幅広の圏足(注17)の両種があることなどを記している。さらに,当時流行していた金銀器を模倣した細白磁の一群(碗.盤・杯など)があり,作りが丁寧で,造形は優美,胎は純白で,荒化の程度がかなり高く,ある程度透明であること,「官」・「新官」の銘を有するものもあることを記している。また,この時期の定窯白磁は,素文のものが普通であるが,五代からは劃花のものも少数ながら出てくることを記した後,この時期の各地の墓葬から多くの定窯白磁が出土することを,具体例を示しながら指摘している。定州市博物館に展示されている解説によると,唐代を「定窯の発展期」と規定し,「早期」には民間用の生活用器である粗磁を主に生産したが,胎が細かく純白で失透釉が施された注壷と四曲碗などの白磁もあることを述べている。この時期の代表的資-246-
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