4.澗磁村窯址の現状澗磁村の定窯窯址を初めて訪れたのは,1991年の4月のことであった。滞在できた時間は短く,歩いた範囲は狭かったが,陶片や窯道具類はまだ大量に散乱しており,さまざまな資料を見ることかできた(注18)。今回の調査では,より長時間窯址に滞在することができ,13箇所ある完片堆のうち7箇所に登ることができた(図7)。各荒片堆には報告書のとおりの番号の入った碑が置かれており,調査に便利であった。しかし,陶片や窯道具類はかなり採集されてしまっており,少なくなっていた。澗磁村の資堆群は,南のほうが時代か上がるのであるが,唐代初期に遡るような資料を見ることはできなかった。まとめ定窯の窯業が始まった時期については,現在も隋説と唐初期説の両説がある。今回の調脊で実見できた限定された資料から判断することはできないが,隋に遡る可能性はあると考える。隋から唐にかけての陶磁資料は,特に粗磁碗類などについては,あまり細かい編年ができない状況にある。定窯の場合も,編年が確立するまでには,もう少し時間がかかるであろう。定州市博物館では,「定州市周辺から出土する白磁に邪州窯の製品はない」と判断し,周辺から採集された白磁資料をすべて定窯の製品としているようである。邪州窯は定州市と同じ河北省にあり,130kmほどしか離れていないのであるから,よほど注意し-250-図7
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