つ。192号に発表された「明治中期の洋画(二)ー白馬会を中心として一」(注l)が,同会の活動を各回の展覧会ごとにおって記述しており,現在においても最も基本的な文献といってよい。また,これに先だつ森口多里『明治大正の洋画』(昭和16年),石井柏亭『H本絵画三代志』(昭和17年)の二書は日本近代美術史を実証的な研究態度をもってまとめた最も初期の著述に位置するが,これらの書にもすでにそれぞれの著者の史的展望をもって白馬会の活動についてもふれられていた。以後の日本近代美術史をあつかう通史的な著述における白馬会の活動の記述と史的意義づけは,基本的には,以上の論著の提示した資料や史的展望の枠組みのなかで語られているといってよいであろう。一方,白馬会の活動を回顧する展覧会としては,昭和29年の光風会館での「白馬会を回顧する展」(ただし,内容不明),昭和45年の奈良県文化会館での「白馬会の画家たち」展,昭和59年の岐阜県美術館での「日本洋画のあけぼの一明治美術会と白馬会ー」展,さらに昭和62年に久米美術館で「久米桂一郎と白馬会の友たち展」などが開催され,それぞれに成果をあげてきた。しかし,展覧会という形式上の制限と白馬会に関する基礎資料の欠如から,これらの展覧会では白馬会系の主要画家の作品展という趣向にとどまらざるをえなかったようである。そもそも,美術団体の活動を回顧する展覧会に,その活動の全貌をうかがいうるような内容をもとめるべきではないのであろこのようにみてくると,隈元謙次郎氏の研究以後,白馬会に関する研究はそれほどの進展をみてはいないように思われる。というよりも,白馬会に関する網羅的,総合的な研究はいまだ着手されていないというのが現状であろう。その原因としては,これまでの日本近代美術史研究が,本格的な研究が開始されて半世紀ほどの年月しか経ていないこともあり,通史的な展望に見通しをつける作業かもしくは個々の作家の個別研究が先行し,いわばその中間に位置する美術団体の研究というような研究テーマが成立しにくい状況があったように思われる。しかし,そのこと以上に現実的な問題として,白馬会に関する基礎的な資料の輪郭や所在さえ不明であったという事情をまずあげなければならないであろう。このことは白馬会のみならず,白馬会と比較研究されるべき明治美術会や太平洋画会についても同様のことがいえる。しかし,近年このような状況は変わりつつある。『日本美術院百年史』の刊行が開始され,『明治美術会報告』など明治期の美術団体の機関誌や美術雑誌などが復刻され,-254-
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