11日ー11月10日にはタピエの自身の企画による『世界・現代芸術展』(ブリヂストン美3 1956年ー1958年アメリカの美術の流入に決定的な役割を果たしたのは,この時期,大きな動きを呈した非定形の抽象絵画,いわゆるアンフォルメルではないだろうか。確かに,アンフォルメルは,フランスの批評家であるミシェル・タピエが唱導した新動向であり,したがって,それはフランスから来たといえる。しかし,タピエが選択した作家は,フランスだけでなく,アメリカ,イタリア,スペインなど,世界に広がっており,とりわけ,タピエも述べるように,アメリカ美術の果たす役割は大きかった。タピエは,ニューヨークの画商と繋がり,しばしば渡米し,アメリカとの関係が非常に強い人物である。したがって,同じ時期に新エコール・ド・パリ展を組織し,フランス美術を前面に押し出すミシェル・ラゴンが,タピエのこのような動きをアメリカニズムの後押しによるものだと断ずるのは首肯できるだろう。アンフォルメルは,インターナショナルな動きであり,抽象表現主義もこの中に入るほどの広がりを見せているが,実際にこの種の傾向を推進しているのは,アメリカの美術なのである。詳細に見ると,タピエのアンフォルメルは,フランス的要素が多分にあることも確かである。たとえば,伝統のあるフランス美術内ゆえ,ダダ的な否定の面を強調する点である。マチウの作品にも,フランス的なセンスがあるといわれている。しかし,マチウの公開制作は,アクション・ペインティングというアメリカ産の言葉を広めることにもなった。アンフォルメル内のこのような錯綜した関係はともかく,当時の日本からするならば,このアンフォルメルによって,アメリカ美術は,フランスのお墨付きを得たといえるだろう。アンフォルメル関係の展覧会は,以下の通りである。まず,1956年11月13日ー25日の『世界・今日の美術展』(朝日新聞杜主催,日本橋・高島屋)でまとまった紹介があり,1957年には9月3日ー10日にジョルジュ・マチウの個展(日本橋・白木屋),10月術館),10月15日ー20日にはサム・フランシスと今井俊満の個展(渋谷・東横)があった。さらに,1958年には日本各地を巡回した『新しい絵画世界展』と,矢継ぎ早に開催されたのである。その中で,アメリカの作家で,ポロック,デ・クーニング,サム・フランシス,ジョン・ミッチェル,ジェンキンスらの作品が出品された。アンフォルメルの影響は,読売アンデパンダンをはじめ,団体展にも現われ,急速に広まる。アンフォルメル旋風と呼ばれる所以である。しかし,アンフォルメルは,-271-
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