鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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れているように,同詩選中の詩は,大雅が身近に接しうるものであった。『唐詩選』中の李白詩を主題とした大雅作品としては,「早発白帝城」を自書した《李白詩意図襖絵》が知られている。玄泉本に書した詩も,同書に収められる「望天門山」であった可能性がある。その詩は次ようなものである。「望天門山図」天門山中断楚江開碧水東源向址廻雨岸青山相封出孤帆一片日邊来天門山は,安徽省に位置し,揚子江を挟む両岸の博望山と梁山の二山のことであり,天門とは,両山を門の如くに見立てての呼称である。明末の画譜『太平山水図』は,前雲従(字尺木1596■1673)が唐詩を材として,古人の画法によって中国の名山を描いたというものであるが,同譜の中で天門山を描いた図には,「太白詩用夏珪法画之雲従」とあって,李白の「望天門山」が書されている。この画譜は,木村兼蔑堂も所持していたことが明らかであり(注2)'大雅がこれに接した可能性は高い。しかし,大雅は茶山のために《天門山図》を描くにあたって,《太平山水図》中の図を参考にはしていない。また《李白詩意図襖絵》同様,詩の図解的な制作でもない。夏珪の画法によったとする爾雲従の天門山は,ェクセントリックな形態の二山と,その間に逆巻く揚子江を描き,これに帆舟を配している。茶山本《天門山図》は,二山を左右に並列させず,あえて,大河を挟んで,手前と奥とに前景・後景として描く。両山の間に流れる川は明確には表わされず,小舟は右上方にわずかに帆を覗かせるにすぎない。山に施された跛は,<浅間山(朝熊嶽)真真図>ほどではないにせよ,陰影表現のような効果をあらわし,三次元的イリュージョンを志向したかのような描法となっている。大雅が江戸の野呂元丈のもとで西洋画に接して,その迫真的な描法に魅せられたのは青年時代のことであるが,《浅間山…》よりさらに晩年期の小品においても,なお再現的な描法が用いられていることは,まことに興味深い。しかし,本図は,《浅間山…》のような眺望ではなく,両山の間には,空間的な隔たりを表しているのであろう余白が設けられているものの,遠山の頂は,近山と同様の緊密さで描かれている(同様の表現としては,《漁楽図》の山々に近似した傾-276-

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