に基づくものであり,海隈自身の『備忘録』によれば,彼が茶山と共に,『太平三山図』をはじめとする兼萌堂遺物を見せられた際,件の画冊として示されたのは,あくまで「陳無名」作のものであったという。多治比郁夫「小田海倦雑記」,『山口県地方史研究18』を参照。(4) 東京都立中央図書館加賀文庫蔵の『展観書画録』による。同書によると,この書画会には,村瀬梧亭,大窪詩佛,文晃,芙蓉,呑響,酒井抱ー,呉春,岸駒,義董,豊彦,春琴ら東西の多数の書画人の出品が確認される。守安収氏は,岡山県の旧家に伝わる,ほぼ同内容の目録について考察(「岡山における四条派の伝播一片山信成所持『展観書画録』から一」『京都画壇の十九世紀第2巻』所収)し,この会の開催地を備前岡山城下と推定しておられる。なお,片山信成本には,序などが欠如しているとのことであるが,今回参照した加賀文庫本には,自らも出品している水田恒による序があって,開催年が判明した。-280-
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