⑰ 唐時代銀器,唐鏡を中心とする唐時代美術の基礎的調査研究[ I ]仮説の提示研究者:財団法人白鶴美術館学芸課長山中唐時代銀器成立の実際の姿やその展開を解きあかすための基礎的調査研究を進めるに当たって,精査すべき中国所蔵の唐時代銀器がほとんど未調査の状態であるので,当初の研究目標を十分に達成するまでには到らなかった。しかし,日本国内に所蔵されている主要銀貼鏡のすべてや白鶴美術館所蔵の銀器そしてアメリカに所蔵されている一部の銀貼鏡や銀器の精査,および中国やアメリカそして日本における銀貼鏡・銀器に対する展示ケース越しの観察,図版の検討などによって,銀貼鏡および銀器に関して幾分なりとも新知見を報告することが出来たと考えている。(仮説)唐時代における金貼・銀貼の八稜鏡の出現・展開と唐時代銀器との間に深いつながりがある。しかも,銀貼八稜鏡のうち,海獣葡萄鏡に近い要素を持ついわゆる「銀貼海獣唐草文八稜鏡」の成立が,遅くとも692年(長痔元年)であることが判明しているので,少なくともその銀貼鏡と密接な関係を有する銀器の成立・展開は,692年を含む則天朝頃と推定される。また,現在知られている代表的な銀貼鏡の文様にはいくつかのタイプがあり,そこには海獣葡萄鏡からの脱却の程度と,銀器と同様のデザインの採用の度合が反映していると考えられる。上記の仮説を論証するため,以下で(検討1)から(検討6)のような問題を具体的に検討する。但し,唐時代の鋳造鏡の調査研究が白鶴美術館,ハーバード大学サックラー美術館,ネルソン・ギャラリー,クリーブランド美術館所蔵の数面を精査した以外は未着手の状態であるので,本来なら鋳造鏡,銀貼鏡の両鏡で研究を進めるべき性格のものであるが,ほとんど銀貼鏡からする報告のみとなった。なお,検討対象として取り上げる銀貼鏡,銀器などの名称は,基本的には各所蔵館の名称に従うが,アメリカや中国に所蔵されている作品の中には,一部仮の名称をつけて表記する場合がある。また,以下の論述の中で,金貼鏡も含めて銀貼鏡という言葉で代表したり,金器も含めて銀器という言葉で総称する。この報告書に登場する主な作品名称については,別表の形で添付し,そこにおいては1■26はフルネームと略理--281-
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