鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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3,秋山氏が第II式として分類)から正倉院南倉8号鏡(第III式bに分類)などに至技法は最高で,唐草文の蔓や鳥獣の脚の一部が地の魚子面から浮き上がって作られている)を詳細に比較検討し,問題点を抽出した。まず,挟博鏡(図1),サ美鏡,ぺ大鏡,白美鏡(図2)の伏獣紐の細部,唐草文の蔓の展開の仕方,蔓の先端に表された葉や石櫂果等の文様要素の種類,悛視の姿態の詳細な比較検討および秋山進午氏の論文「海獣葡萄鏡と走獣葡萄鏡」の海獣葡萄鏡の形式分類と勝部明生氏の論文「海獣葡萄鏡形式分類試論」中の描き起こし図とを参照することによって,4鏡の文様が海獣葡萄鏡の最高傑作である正倉院南倉9号鏡(図る間の海獣葡萄鏡と関係の深いことが判明した。また,4鏡全てに共通点が多く認められるが,特に快博鏡全ての悛祝が白美鏡の何れかと対応していて,これほどの一致は同一工房,同時期の制作を予測させることとなった。一方,花喰い鶴,鴨など外区に表された鳥の一部や外縁の花雲文(梁雲文,流雲文などともいう)のように,海獣葡萄鏡になく銀器に見いだされる文様を指摘することが出来た。(検討2)同文様のフ金鏡(図4)と天銀鏡と4鏡を鉦から外縁までの全てにわたって詳細に検討した結果,特に2鏡の隣合った逆ハート形の蔓がニヵ所で交差し上部の交点から一枚の三裂葉が伸びる様子が,4鏡中の白美鏡の八つの宝珠形の輪が隣同志二ヵ所で交差し同じく上部の交点から一枚の五裂葉が伸びる様子とおなじ性格を見せるなど,2鏡と白美鏡の間に唐草文のデザインの上で密接なつながりがあることが判明した。唐高宗朝の年号である調露二年(680)の制作である「宝相華文填」(図5'韓国慶州市雁鴨池出土)には2鏡に似た対葉文によって形作られた逆ハート形8個があたかも大きな蓮弁のように表されている。対葉文を主要要素とする団華文の施された「宝相華文博」と,神龍2年(706)に作られた永泰公主墓の墓誌蓋に線刻された同種の文様の存在から,対葉文を主要要素とする団華文が高宗朝から則天朝にかけて流行したことが明らかとなった。この文様は白銀洗,ネ銀洗,何金碗など最優秀の銀器にも採用されている。対葉文を主要要素とする団華文は,これらの銀器およびこの2鉗党の制作年を,高宗朝から則天朝の間に置く大きな根拠となる。この2鏡に海獣葡萄鏡の影がほとんど感じられないのは銀器のデザインと深いつながりがあるからかも知れない。なお,円形を大原則としてきた中国の鏡の歴史の中に,八稜鏡,六稜鏡,八-283-

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