3.そのうち白美鏡は,八つの宝珠形を団華文のように形作った唐草文によって,他の3鏡に比べ,高宗朝・則天朝に流行した対葉文を主要要素とする団華文と密接な4.その対葉文を主要要素とする団華文を表した銀貼鏡がフ金鏡と天銀鏡であり,こ5.八稜形が創出されるに当たって,対葉文によって形作られた逆ハート形を主要要6.唐草文の蔓や烏獣の脚の一部が地の魚子面から浮き上がって作られている優れた7.その結果,3種類の植物文(海獣葡萄鏡の葡萄唐草に近い唐草文,旋回する唐草が認められ,開元20年の紀年墓出土の合子も開元6年以前に作られた可能性が高い。今度は象,鹿,鴛喬のほか花丼文や花雲文などか表された鍍金銀製の円形合子(西安市東郊西北国棉五廠出土)は開元6年(718)の埋葬であるが,象使いが手に持つ先の曲がった棒状のものが神龍2年(706)に乾陵に陪葬された章懐太子李賢墓に描かれた壁画の一つ,狩猟出行図中にみる騎馬の狩人が手に持って肩に担いでいるものと非常によく似ており,もちろん,弓や槍などと同様何時の時代でも使われた狩猟具であったかも知れないが,円形合子の制作年を706年に近づけて考える可能性を示唆している。以上の検討から判明したことを箇条書にして,この報告書を終えることとする。1.鉦を中心として同心円状に細緻に打たれた魚子文と外縁帯の文様の同一性によって,一連の銀貼鏡は若干の制作年代差はあっても,全て同ーグループに纏めることが出来る。その中でも,外区,内区の外周の鳥の有無を指標にすれば,仮にA(有)八稜鏡」である。関係を持つ。素とする蓮弁形(八弁ばかりでなく,十弁,十四弁などもある)の団華文が契機となった可能性がある。打ち出し技法に注目すると,4面の「銀貼海獣唐草文八稜鏡」と泉稜鏡と狩銀板が特に密接な関係にあるものとして浮かび上がって来る。(732)の紀年墓から出土しているが,表面に施された幾種類かの文様に全く同じもの[ III]まとめB (無)の2グループに分けることも出来る。2.銀貼鏡のうち,海獣葡萄鏡の要素を一番多く持つのは,4面の「銀貼海獣唐草文の2鏡は他の銀貼鏡に比べ海獣葡萄鏡の要素が少ない。-290-
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