鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
301/588

8.海獣葡萄鏡の葡萄唐草に近い唐草文以外の植物文は,対葉文を含めて全て銀器に9.旋回する唐草文や山岳文と花丼文が接点となって,銀器・碑その他に表された狩10.「銀貼海獣唐草文八稜鏡」の制作が,遅くとも長寿元年(692)に行われたとする12.以上の検討結果を踏まえ,そして制作年のはっきりしている壁画や線刻面,墓誌[N]おわりに① 実際に精査することの出来た鏡2.白鶴美術館「銀貼海獣唐草文八稜鏡」(白美鏡,19.3cm),3.天理参考館「鍍金文,花弁文)がほぼ平行して銀貼鏡に表されたことが明らかとなる。見いだすことの出来る文様である。猟文,また,花角を戴く鹿と大きく湾曲した角と顎蹟をもつ山羊の銀貼鏡への登場が,銀貼鏡の他の文様とあまり時を隔てない時期であったことが判明する。と,それに近い要素を多くもつ銀貼鏡の制作年もほぼ近接した時期と考えられる。11.一連の銀貼鏡うちでは「銀貼海獣唐草文八稜鏡」から最も隔たるとみなされる泉花鏡の制作年も鉦,外縁文様,魚子文の類似から,他の銀貼鏡とそれほど離れているとは考えられない。の伴出によって下限の分かる銀貼鏡や銀器と比較検討することによって,706年までに銀貼鏡は主要な展開を終えていたと考えられる。中国所蔵の銀器の精査がなされていない現状では本格的な検討は後日とせぎるを得ないが,それでも銀貼鏡と密接な関係を有するとみなされる銀器は,やはり則天朝で制作されたと思われる。しかもそれは唐時代を代表する傑作銀器であった。精査した銀器を中心とした検討も,ある程度進んでいるが,この報告書では割愛した。今後の方針として,中国所蔵の唐時代銀器の調査に1点でもよいから着手し,また,唐時代銀器の制作を促すきっかけとなったとみなされているソグド銀器やササーン銀器の実見精査を重ねることも目指している。そして,一番実現可能な調査として,とりあえず日本国内に所蔵されている唐時代の鋳造鏡の調査研究に取り掛かる予定である。(1)鏡1.ハーバード大学サックラー美術館「銀貼海獣唐草文八稜鏡」(サ美鏡,16.25cm),銀貼四禽唐草文八稜鏡」(天銀鏡,21.3cm),4.五島美術館「貼銀蓋金双鳳俊祝八稜-291-

元のページ  ../index.html#301

このブックを見る