鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑱ 阿弥陀来迎表現の研究1 来迎像の登場研究者:宮内庁正倉院事務所調査室長三宅久雄阿弥陀如来の来迎表現は三尊,つまり観音,勢至の二菩薩を従えたかたちが基本となり,絵画では聖衆の構成や構図において多様な様相を呈するが,絵画,彫刻を通じて来迎する三尊自体の表現は共通の要素としてとらえることができる。来迎における両脇侍のかたちとしては観音が蓮台をささげ勢至か合掌してそれぞれ詭坐するものがよく知られている。しかしこの他観音,勢至が阿弥陀と同じように訣坐するもの,立て膝ですわり,あるいは勢至が立っているもの,さらに阿弥陀が蓮華座から片足を下げているものなど,多様に変化しなから,やかて鎌倉時代に入ると三尊共に立ち上がり,観音,勢至は腰をかがめて往生者の方に向かう姿が完成される。このかたちは,以後もっとも普及,つまり好まれた。本研究では“来迎する三尊の姿かたち”に対象を限定し,絵画と彫刻との間でどのように交流しながら展開していったかを考察する。来迎表現の初見は,当麻曼荼羅が我が国における制作とすればその下縁に描かれた九品来迎図である。しかし,ここに表わされた三尊は立像ではなく坐像構成と推定されているが,なお図様について確かなところは不分明であり,また唐の制作とする見方もある。我が国において今日具体的に“来迎する三尊の姿かたち”を確認できるのは,天喜元年(1053)供養の平等院鳳凰堂の扉に描かれた九品来迎図からである。すでにそこには平安時代後期を通じてもっとも一般的な形がみられる。すなわち阿弥陀如来は結珈訣坐して来迎印を結び,観音菩薩は蓮台を捧げ,勢至菩薩は合掌し,いずれも跳坐するが,一方は立て膝をした形にあらわされている。彫像,画像を通じて現存最古の確実な来迎表現ということができる。しかも典型として完成された形式を既に示していることが注目される。平安時代後期の展開は鳳凰堂タイプの小さなヴァリエーションと言ってよいだろう。“来迎する三尊の姿かたち”に限定して言えば,鳳凰堂扉画のそれは,-294-

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