鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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そこではすでに地蔵と龍樹とははっきりと形の区別をつけており,前出線刻阿弥陀鏡像より進んだ段階を示している。さて,彫像において鳳凰堂扉画のような立て膝形が現れるのは,文献記録からは確認するすべはなく,現存作例に照らす限り十二世紀に入ってからということになる。いくつか作例をあげると次のとおりである。京都・地蔵院観音菩薩像京都・常照皇寺阿弥陀三尊像岩手・ニ十五菩薩堂菩薩像(但,観音,勢至のいずれかとは断定できない)画像の場合,観音,勢至とも同じ姿勢にあらわすことは少なく,一方が両膝をついた跳坐または践坐であれば,他方を立て膝とすることが多い。これに対して彫像では,一般の三尊形式と同様に両脇侍はなるべく左右相称に近い構成とするのが普通で,観音,勢至とも詭坐,あるいは京都・常照皇寺阿弥陀三尊像のように双方とも立て膝とすることが多い。常照皇寺像は厳密に言えば勢至菩薩は片膝を立てようとする体勢を表わしており,両脇侍の視覚的バランスを計ったともみられる。この点,仮に画像を写して彫像を制作したとしても,正面礼拝性重視という仏教彫像の基本的規約の範囲内で取込んだものと言える。正面性といえば画像においてもいわゆる正面来迎図が思い起こされるが,有志八幡講十八箇院阿弥陀聖衆米迎図や三重・西来寺阿弥陀四尊来迎図では観音あるいは勢至の片一方を立て膝とする。彫像でも京都・西乗寺阿弥陀三尊像は両脇侍脆坐,観音菩薩のみ左膝を立てる姿で,阿弥陀,勢至は平安後期の作であるが,観音は室町時代の補作である。これが当初像に倣っての形とすれば当時では珍しい遺例である。坐像系においては,両脇侍が跳坐ではなく鉄坐の場合がある。滋賀・浄厳院阿弥陀聖衆来迎図兵庫・鶴林寺太子堂壁画天永三年(1112)三重・金剛証寺阿弥陀三尊来迎鏡像平治元年(1159)福井・心蓮社阿弥陀三尊来迎図京都・安楽寿院阿弥陀聖衆来迎図埼玉・慈光寺観音・勢至菩薩坐像(安坐)京都・加茂町岩舟阿弥陀三尊石仏永仁七年(1299)奈良•松尾寺阿弥陀聖衆来迎図-298-

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