を充分に予感させる。来迎三尊形式は鎌倉時代に入って中尊が坐像から立像にかわることで明快に構成の展開を区切ることができる。この時代の初頭に来迎三尊立像が彫像および画像でほぼ時期を同じくして初出する。兵庫・浄土寺阿弥陀三尊立像建久六年(1195)京都・清涼寺阿弥陀聖衆来迎図(迎接曼荼羅)和歌山・光台院阿弥陀三尊立像承久3年(1221)和歌山・五坊寂静院阿弥陀三尊立像貞応2年(1223)頃奈良・金光寺阿弥陀三尊立像天福2年(1234)浄土寺像は阿弥陀が逆手来迎印で,両脇侍は印相も変っており,また直立している。この形式は周知のとおり宋風で,彫像ではほとんど制作されなかった。画像では,両脇侍が我が国通行の持蓮台・合掌の形を含めて,宋・元画,高麗画,そしてこれらの影響をうけた我が国の作例がいくつか知られる。鎌倉時代以後大勢を占めたのは,清涼寺本や光台院像の様な三尊立像形式である。とくに彫像において両脇侍が腰をかがめて立つ形が流行したのは,正面から礼拝される立体像として,このあたりが画像に匹敵する説明性をもって,来迎の親近感,近接感を表現する最適なかたちであったからであろう。この形式の完成とその後の普及には法然教団が深く関わっていたと考えられる。来迎三尊立像の成立については来迎図の方面からの詳しい研究があり,また筆者もかつて仏師快慶との関連において論じたことがあるので,本報告では詳しく触れないこととする(注4)。この藤末鎌初の時期には持物・印相の組合せに小異のあるいくつかの形式が表われる。来迎における勢至菩薩は元来印相の規定がない。まず観音は蓮台をもつが,勢至は合掌ではなく蓮華をとるものに安楽寿院,松尾寺の阿弥陀聖衆来迎図,幡をとるものに安養寺阿弥陀二十五菩薩来迎図,天蓋をとるも3 鎌倉時代立像形式4 印相・持物のさまざま-300-
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