1象では,埼玉・実相寺,和歌山・泉養寺の阿弥陀三尊像,滋賀・真如寺,同・安養寺のに法華寺阿弥陀三専及童子像がある。彫像で蓮華をもつ例として京都・慮山寺,大阪・専称寺の阿弥陀三尊像があるが,彫像では専称寺像のように手先や持物は後補の場合が多く,しばしば当初の形を改変したと解釈されるがちあるが,画像の例をみているとあながちそうとも言えない。一尊または一部が後補であっても当初の形に倣っている作例も多いことに注意すべきである。以下,本報告では両手が後補などであっても有意義と判断されるものは敢えて参考作例として掲げた。ちなみに彫像ではみられないが,画像では滋賀・浄厳院阿弥陀聖衆来迎図のような勢至菩薩が施無畏・与願印風のものがあり,京都・個人蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図中の勢至菩薩もこれに近い。さて観音菩薩は蓮台をとることが経典にも記されているが,彫像の実例では連華をとる一群がある。この形は画像ではみられないように思う。京都・三室戸寺観音・勢至菩薩坐像埼玉・慈光寺観音・勢至菩薩坐像岐阜・阿名院阿弥陀三尊立像京都・石像寺阿弥陀三尊立像元仁元年(1225)茨城・円福寺阿弥陀三尊立像徳治二年(1307)一見,来迎とは限定できないように思えるが,もし三室戸寺や清水寺観音菩薩像の跳坐して蓮華をとる形を当初とすれば,供養菩薩はともかくとして三尊構成の中尊の脇侍としての詭坐形は来迎像の特色であるから,一概に来迎像であることを否定できない。これを古い形式とみるむきもあるが(注5)'奈良時代に脇侍を合掌形にあらわす例はあるものの,むしろ鎌倉時代以降に目につく。来迎か否かはともかくも京都・石像寺の石仏の例から,持蓮華・合掌の組合せが阿弥陀三尊の形としてあったことは硝在かである。この印相の観音.勢至を配する阿弥陀三尊像について,茨城・円福寺像が真宗の制作であるところから「阿弥陀仏来迎を強調する教義のない真宗の特異・希有の作例」として,浄土真宗系の形式とみる考えもある(注6)。しかし先掲の他に坐の阿弥陀三尊懸仏(但し持物蓮華なし)などがあり,教義的背景は更に検討の要がある。形式の面に限れば,その淵源を前代末期の多様な来迎形の一つに求める可能性はダ曳されているであろう。島根•清水寺阿弥陀三諄坐像(脇侍両肘先後補)-301-
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