鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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5 来迎三尊の終着形ここで阿弥陀如来の印相と姿勢について触れておこう。定印像は画像ではみられないが彫像では前出の常照皇寺,証菩提寺像などの例があり,また京都国立博物館の三尊石仏,降って鎌倉時代にはいると京都加茂町岩舟の三尊石仏の例から定印阿弥陀が来迎像として祀られたことが確かめられる。そもそも敦煙莫高窟431窟九品来迎図に定印の阿弥陀如来が描かれている。ただし我が国の場合,観想の対象としての丈六定印像との関連を考える必要があろう。画像では説法印を結ぶ来迎の阿弥陀如来像も多い。なおいわゆる来迎印は逆手来迎印を含めて説法印に淵源するとみるのが妥当であろう。とくに左手を腹前に構える説法印は形のうえからだけで言えば,胸前で両手を構える説法印と,来迎印・逆手来迎印を繋ぐもののように見受けられる。井上一稔氏が真正極楽寺像に関して指摘しているが(注7),これらも当麻曼荼羅などの浄土図との関連が注目される。また滋賀・浄厳院阿弥陀聖衆来迎図などにみられる阿弥陀の左掌を立てた米迎印と当麻曼荼羅(あるいは南都系の来迎図)などとの関連に注目する指摘もある(注8)。次いで姿勢については通行の坐像,立像のはか半珈のものがある。画像では早く平安時代から滋賀・浄厳院本,三重・金剛証寺阿弥陀三諄来迎鏡像などの作例があるが,彫像では稀であり,室町時代に降るとみられる滋賀・永福寺像,三尊揃った貴重な例として大阪岸和田・阿弥陀寺像(注9)が知られる。さらに珍しい例として阿弥陀如来自身が膝をまげ腰を屈めた姿が京都・個人蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図にみられるが,本図は観音ではなく勢至が先行しているところも異例である。さすがにこの形も京都・行住寺の彫像が知られるくらいである。なお彫像では,珍しい{奇像の来迎像として三重・成願寺と京都・西方尼寺阿弥陀如来像などがある。鎌倉時代以降は三聰立像が基本形式として確立されるが,これに伍して脇侍に立像と坐像を配した形が表われる。彫像では栃木・地蔵院,画像では京都個人蔵の阿弥陀二十五菩薩来迎図が早い例で十三世紀前期の作,画像ではこれに続く十三世紀中頃の神奈川・光明寺当麻曼茶羅縁起巻下の阿弥陀二十五菩薩来迎図,後期の知恩院早来迎など枚挙に退ないが,彫像は少ない。鎌倉時代中頃には来迎三尊のすべての形が出そろう。以後,これら三尊の形が様々に組合されるが,みるべき展開はこれまでといっ-302-

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