鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(2) 伊東史朗「妙法院普賢菩薩騎象像について」『仏教芸術』1941991年1月(3) 浅木脩平「長講堂阿弥陀三尊像考」「仏教芸術』2121994年1月(5) 光森正士『阿弥陀仏彫像』1974年3月てよい。この脇侍に立像と坐像とを配した形は,正面礼拝性を基本とする彫像では三尊の左右相称の構成を破るもので,落着きと安定感に欠ける。あえてこれを試みることができたのは当代の高度な彫刻技術のしからしむるところではあろうが,我国仏教彫刻史における鎌倉時代の限界を露呈したに他ならない。ところが画像においては,斜構図のなかに三腺は三通りの姿勢で,前後に距離を変え,位置を変え,他の聖衆,流れる雲,自然の背景などのモチーフの中に配置され,まさに絵画ならではの表現を得て,この“来迎する三尊の姿かたち”は終着点に到達した。(注)(1)光森正士「浄土・法華信仰の諸仏と常行堂」『図説日本の仏教第三巻浄土教』新潮社1989年7月(4) 濱田隆「立像阿弥陀来迎図成立史考」『仏教芸術』1261979年9月三宅久雄「快慶と来迎阿弥陀三尊像」『日本美術全集」10講談社1991年8月(6) 後藤道雄・今井雅晴「茨城・円福寺の阿弥陀三尊像について一初期真宗在銘木像の一例ー」『MUSEUM』4561989年3月(7) 井上一稔「天台浄土教(+世紀)における来迎表現」『日本における絵画・彫刻・工芸各分野のモチーフの交流に関する調査研究』1990年3月(8) 宮島新一「阿弥陀二十五菩薩来迎図の成立と高野山聖衆来迎図の伝来について」『芸術の理論と歴史』1990年3月(9) 堺市博物館吉原忠雄氏の御示教による。紙幅の関係から詳しく注記しなかったが,全般にわたり下記の研究に追うところが大きい。濱田隆『極楽への憧憬』1975年10月中村興二「来迎美術史研究序説」『仏教芸術』144• 145 • 147 • 149 • 151 1982■83 年-303-

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