鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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⑲ 山岳信仰美術の研究~支行者の図像を中心に一研究者:大阪市立美術館学芸貝石川知彦「銅造の役行者像の遺品〜石鎚行者堂役行者像を中心に〜」1.はじめに山岳信仰に関わる美術品としては,これまで蔵王権現像や熊野曼荼羅,経塚遺品,懸仏などが注目を集めてきたが,修験道の開祖とされる役行者の像については,神山登氏の興味深い論文(注1)がある程度で,研究もあまり進んでいるとは言いがたい。今日,全国に膨大な数の役行者像が現存しているが,近世の作例が殆どであるせいか,美術史の上で注目される像は稀で(注2)'現存作例の数すら明らかでない。本調査研究では,この役行者の彫像及び絵画作品を対象としたものである。ところで山岳信仰の本尊とされる蔵王権現については,これまでの研究によりその図像の成立が,天台寺門派の秘法とされていた金剛童子などの先行図像に基づくものであると指摘されている(注3)。ところが役行者については,これまで等閑視されてきたきらいがあり,図像の成立については不明な点が多い。筆者は,役行者像の図像上の典拠となったものが新羅明神ではないかと考えるが,新羅明神と役行者像は半珈,または{奇像を中心にしながら坐像立像も含めて多様な像容の展開を示しており,その持物や服制,開口とする念怒の老相など共通点が多々指摘できる(注4)。新羅明神は天台寺門派で祀られてきた守護神であり,役行者像についても上述の仮定が事実と認められるならば,山岳仏教美術の展開に果した天台寺門派の役割の大きさを再認識することができよう。いずれにしても,現存する役行者像の詳細なる究明がまずは重要であると考える。本稿では,本調査研究にて実見した役行者像のうち,近世に数多く造立されたと考えられる銅造の遺品について,若干の報告を行いたい。近世の行者像については木造,石造のものが一般的であるが,銅像についてはこれまであまり顧みられることがなく,また銘文を伴う遺例も散見されることから,ここに取り上げ行者像全般の解明の一助としたい。2.石鎚役行者堂の役行者像について-305-

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