鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(1) 「役行者の信仰とその尊像」(『大阪市立博物館研究紀要』第18冊,1986年3月)10参照)が伝わり,奥前神寺には陶製の役行者俺像が祀られる。いずれも近世末か握するという作業が必要である。役行者像は現在でも交通の不便な山間や霊山の中腹,山頂に祀られることが多く,まさに難行苦行を伴う調査ではあるが,1体でも多くの像を実見し,役行者像の全貌を明らかにしなければなるまい。そして役行者像の像容を絵画・彫像・画中画資料ごとに,最も一般的な{奇像と半珈像・坐像・立像に大別し,それぞれの面貌表現や持物,服制等をデータとしてまとめ,役行者像本来の像容を探ることが今後の課題である。最終的には役行者像の編年を可能にするとともに,図像の成立に大きな影響を与えたと想定される新羅明神像との関係を明らかにしていきたい。本報告はそれに向けての第1歩としていきたい。(注)(2) 彫像としては,その最古例として山梨・円楽寺像が西川新次氏によって紹介され(「中道町円楽寺の役行者像」,『甲斐中世史と仏教美術』所収,1994年11月),絵画作品の最古例である大阪・松尾寺本役行者八大童子像が,今春の堺市博物館の特別展「大阪の仏教絵画」(図版63)に出陳された。(3) 猪川和子「蔵王権現像と金隋童子像」(『美術研究』252号,1968年3月)。また有賀祥隆氏は「鋳銅刻画蔵王権現像雑致」(『國華』1094号,1986年6月)の中で,蔵王権現の図像に影響を与えたものとして,猪川氏の指摘された金剛童子像に加えて,如意輪観音の脇侍としての執金剛神像や,五大力吼菩薩像を挙げておられる。(4) 役行者像と新羅明神像の類似性については,すでに真鍋俊照氏が「星宿の美術一星曼荼羅」(『古美術』35号,1971年12月)の中で言及されており,また筆者も「新羅明神の種々相」(科学研究費補助金研究成果報告書『日本美術のイコノロジー的研究ー外来美術の日本化とその特質ー』所収,1991年3月)にて両者の共通点を指摘しておいた。(5) 『霊異記』下巻「智行並び具する禅師,重ねて人の身を得て,国皇の子に生まるる縁第三十九」。(6) 『文徳天皇実録』嘉祥3年(850)5月5日条。(7) 西条市の前神寺は,現在の石槌神社の東側に里坊(里前神寺)があり,成就社の手前に奥前神寺(奥ノ院)が立つ。里坊には後述する役行者の寵像(3章の①,注-313-

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