鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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(8) 石鎚山の歴史と信仰については,秋山英一「石鎚修行の先駆者たち」,宮家準「石(9) 本像は注8秋山論文の中では,登山期間以外は小松町黒川の曾我部勉氏方にあっ1979年4月)に拠るところが大きい。第4巻(1981年12月)によれば本像は像高77.2cm,記録より享保元年(1716)の作ら近代にかけての作かと思われる。鎚山の歴史」(いずれも『山岳宗教史研究叢書12大山・石鎚と西国修験道』所収,たという。現在本像を祀る役行者堂は,松山市恵原町の文殊院の管轄となっており,筆者は同院御住職荒井浩忍師のご好意により,行者像を間近に拝することができた。記して謝意を表したい。(10) 朝日新聞社『山と日本人修験道展」図録(1973年6月),図版127参照。本像は左手に経巻右手に錫杖を執る通形の役行者椅像を,岩窟に見立てた寵に高肉彫りに表したもの。筆者は残念ながら,今回の調査でこの寵像は実見できなかった。(11) 痕殿内中央に安置される聖護院像は,右手に錫杖を執り,右足を垂下させる半珈像。本像の詳細については未調査。(12) 大峯奥駈け道の途上,釈迦ヶ岳と大日岳の間にある深仙ノ宿の灌頂堂内に安置される。役行者像は総高62.2cm,左手に数珠,右手に錫杖を執って左足を垂下させる半珈像。前鬼・後鬼坐像を従えるはか,本米一具の八大童子の一部かと思われる童子形立像4謳が堂内に安置される。(13) 奈良県天川村の龍泉寺母公堂の向かって右脇壇上に安置される三尊像。役行者は総高73.5cm,開口して左手に経巻,右手に錫杖を執る通形の姿に表される。(14) 玉泉院は大阪府能勢町の行者山の麓にある。行者山本堂内,向かって右脇壇上に安置される役行者坐像については,いまだ詳しい調査は行っていないが,『能勢町史』になるという。(15) 金蔵寺は兵庫県加美町にある真言宗の寺院。奥ノ院に安置される役行者椅像は,総高73.3cmで,一具の作と考えられる行基及び円仁の坐像を従える珍しい遺品。開ロしてロ・顎髭をたくわえ,左手に経巻,右手に錫杖を執る通形の姿であるが,面部や衣文などの彫技は手慣れたもので,ともに江戸前期の作と判断される。(16) 塑造の行者像は,管見の限りでは,河内長野市の光滝寺及び山形県寒河江市の本山慈恩寺に近世の遺品が伝わっている。(17) 「下福嶋」村は現在の大阪市福島区玉川及び野田付近。村とはいえ福岡藩の蔵屋敷-314-

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