巻18■32(2) 8)ことに加え,本絵伝の成立が浄土宗内での知恩院(鎮西派)の優位を示すと説か2.支配体制との妥協3.法然の布教と法難(3 -1)布教のエピソード(巻18■24)(3-2)鎌倉幕府との関係(巻25■28)智からでは解決し得ない実際的な問題が残ってしまうのである。門弟の個々のイメージは,ある目的に沿って編纂された種々の法然上人伝記の中で形成されているのだが,玉桂寺像造立に見られる源智のように四十八巻伝の彼のイメージと相異なる役割を果たしており,改めて個々の門弟の具体像を問い直す必要があろう。そこで小論の課題としては,四十八巻伝を素材にしてそこに現われる源智像には何が取捨されたかを明らかにし,玉桂寺像造立の過程を考察することで,法然教団の阿弥陀像造立の意義を考える一助としたい。法然および門弟の動向については,各種の法然上人伝が基本史料であり,多くの研究がこれらの史料に依拠して立論されている。法然の伝記については幾つかの系統があることは先学によって指摘されていながら(注6)'伝記研究以外は比較的無批判に史料の引用が行われ,論者によって門弟の評価は様々に分かれ,門弟像を混乱させていることは否めない。このような事態はどの伝記に依拠したかのテキストに起因している。もちろんある人物について様々な局面を明らかにしていく方法もあろうが,いずれにしても史料批判を行わなければならないことは言うまでもない。法然伝記は主要なものだけでも十数種を数えるが(注7)'その中から最も成立時期の新しい四十八巻伝を取り上げる理由は,本絵伝の成立後新たな伝記が編纂されなかったことからも伺われるように,諸伝記の集大成として本絵伝が位置付けられる(注れるように(注9)'浄土宗内での主導権の確立と無関係ではない点である。伝記が書かれる多くの背景は,先師の遺徳を顕彰するためであるが,その作成者側にその教義と遺徳の正当な継承者であることの宣言が目論まれるのが常態である。かかる意味において,四十八巻伝の製作意図を先学の研究を踏まえて私なりに検討してみたい。本絵伝は次の構成をもっている。1.出家・求法・教義・血脈-317-巻1■ 8 巻9■17
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