⑪ 雪村を中心とする中・近世東北地方における水墨画の研究1600年以降の画壇における復古的思潮と,永徳以後の狩野派絵画の著しい様式化の研究者:宮城学院女子大学非常勤講師内山かおる現代の我々が日本絵画史において,雪村画の個性,特性を他の画家達から際立つものとして意識する背景には幾つかの要因が考えられようが,なかでも長く室町画壇の正統派として位置付けられてきた雪舟との比較に,研究者は意識するしないに関わらず捕われがちであったことは大きく作用しているのではないだろうか。『説門弟資』のなかにあらわれる雪舟の名を挙げての雪村の強烈な自意識はその裏付けとなるであろう。ひるがえって,確かに江戸時代の幾人かの画家達も雪村及び雪村画を強く意識し,また作画上も様々な影響を受けている点は看過できない。具体的には狩野派(探幽.常信)の縮図帖,山雪の鑑定書(注1)などに雪村画は見い出される。しかし,より重要なのは雪村画における核心的部分が山雪や後の尾形光琳など個性的画家達に確実に継承されている点である。山雪(1590■1651)の水墨山水図には中世以来の山水図の成立条件であった空気遠近法(墨調の明暗濃淡の変化による空間表現)を意識的に無視したような表現がまま認められるが,それは雪村の山水図にも頻出する。近景から中景を経て遠景へと,墨調を段階的に自然に変化させるのではなく,隣り合う墨面同士の明度の差は激しく,景の遠近関係,前後関係は錯綜している。水墨技法は統一的景観を構築するための手段であることを超えて,それ自体の自律性をもつに至る。また尾形光琳(1658■1716)は既に指摘されているように(注2)'雪村画のモチーフのフォルム,ムーブマンから幾つかのインスピレーションを得ている。墨竹や光琳波の原型を雪村画に求めることができる。一方,桃山画壇の雄,狩野永徳(1543■1590)の四十余年の人生が雪村の後半生にほぼ重なり合う事実は意外でもある。道釈人物画におけるモチーフの大きさや奥行きの浅い平面的配置などに時代様式の共通性は見い出せるものの,全体としては雪村画の方がはるかに多彩で,かつ不思議と古様な印象を受ける。それは作家活動の時間の長短のみによるものではないようにも思える。流れとをかみ合わせて考える時,探幽,山雪,光琳らは雪村画における“古様”な要素や“様式化されにくい”要素が絵画の創造性に繋がっていくであろうことを熟知し-324-
元のページ ../index.html#334