ていたのではないだろうか。1.周文及びその周辺画家からの影響第一に,周文系四季山水図屏風の構成法として帰納される,① 遠景を画面上方に積み上げていく。② 六曲一双の画面全体の中心(重心)を定めない。③ おおよそ二扇単位でひとまとまりの構図をとり,六曲一双はそれをジョイントしたものとして捉えることができる。という要素が雪舟をこえて隔世遺伝的に雪村の山水図に継承されている点に注目したい。(注3)日本人画家としてはむしろ異例であったと考えられる雪舟の合理的山水構成法が雪村画に皆無であったということではないが,大半は雪舟以前の山水画の潮流に沿うものであることは重要である。周文及びその周辺の画家からの影響を,以下に確認してみよう。永享5年1433年紙本墨画103. 0 x 31.8cm 図2)における,画面向って右方から大きく張り出す松樹,渓流にかかる橋,画面下方から上方へと東屋へ向って延びる道,中景と連絡しない圭角的な遠山などのモチーフとその構成が共通している。あったかとも推測されている芸愛(〜長享3年1489■)の花鳥図に,モチーフの動勢の強調,形体のデフォルメという点において近似している。〇柘櫂に小禽図(紙本墨画淡彩Ill.OX 47.Ocm 図4)〇柳燕図・梅に小禽図(対幅紙本墨画各108.2X49.4cm図5)などまた,「柘櫂に小禽図」に認められる,楕円を遠心的にくり返しひき重ねる岩の跛法も雪村画に共通するものがあり,花鳥画のみならず山水画にも応用されている。〇花鳥図屏風(六曲一双紙本墨画ミネアポリス美術館蔵図6)〇楼閣山水図(紙本墨画ll8.0X50.8cm 大和文華館蔵)〇灌湘八景図屏風(六曲一隻紙本墨画152. 0 X 349. 5cm) 周文の晩年期に活躍した,周文とも関係の浅からぬ相国寺系の画僧か)の「遠浦帰帆図」(紙本墨画淡彩全8幅の内42. 3 X 30. 9cm 図8)は縦長の画面であるが,モチa.渓橋高逸図(紙本墨画淡彩72.0X24.3cm 図1)「聴松軒図」(重要文化財b.梅竹に鳩雀図(対幅紙本墨画52. 3 x 30. 3cm 図3)小栗派に近い位置にc.風濤図(紙本墨画淡彩22.1 X 31. 8cm 図7)秀盛(長禄3年1459 以前,-325-
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