鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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2.同時代人・狩野永徳との比較検討ーフとその構成に共通性が認められ(風をはらむ帆船,暴風に大きくたわむ樹木とその背後に息をひそめるように置かれた東屋),「風濤図」が滴湘八景図の「遠浦帰帆図」からの翻案である可能性を示唆している。内紙本墨画淡彩65. 3 X 35. 1cm 図10)にみる,水際のうねるような楊柳と水閣のモチーフ,さらにその構成が近似している。以上は雪村が雪舟以前のより古様な作品群を作画上の源泉としていることの証左として挙げ得るであろう。きわめて個性的と言われる雪村画の基底においても,室町時代のアカデミー派の枠組は強く影響を与えている可能性が抽出できる。雪村が活躍していた地域のなかでも,鎌倉,小田原などは古様な様式を尊び,それが残存しやすい土地柄であったことが推測される。また,特に花鳥画などにおいてモチーフに施された強い陰影やムーブマンの強調といった特徴は関東画壇の一般的傾向と見倣され,地域特性と言えようが,単に嗜好や美意識によるものではなく,中央地域に比較し,画家が目にすることのできる作品の絶対数に差があり,模写が何度も繰り返されるうちに発生した現象として捉えることも可能である。1.においては雪村と室町時代アカデミー派との比較を行った。ここでは,同時代人である狩野永徳(1543■90)との比較検討を試みる。現存作品が決して多いとは言えない永徳と,遺品が圧倒的に多い雪村とを軽々に比較することはできないが,時代様式の体現者としてのスケールの大きさは重なり合う部分もある一方,同時代の官学派には認められない,雪村画の一傾向を抽出することも可能である。その第ーは,従来より林進氏らによって指摘されているところであるが(注4)'雪村は作画に際して自分自身の独特の発想を重視し,現存作品にもそれを確認できるものが多数遺されている点である。ここではこれまで言及されたことのない作品についての私見を述べたい。「蝦幕鉄拐図」(対幅紙本墨画淡彩各151.5x 205. 9cm東京国立博物館蔵図ポーズのユニークさにおいては余人には求め難いものがある。端的に述べるならば,筆者は本図の主題は陰陽思想を雪村流にアレンジしたものであろうと想像する。d.楊柳水閣図(紙本墨画淡彩86. 3 X 36. 6cm 図9)芸愛筆「山水図」(対幅の11)は雪村の道釈人物画のなかでも大幅に属す代表作で,蝦墓仙人,鉄拐仙人の表情,-326-

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