ものとは思えない。第五柱頭に司教という教会の権威の姿を表し,それに対してスポンサーでもあったグイド伯という世俗の権力を古代風の衣装でここに表したのではないだろうか。ロメーナの聖堂には世俗権力の代表者らしきものは見られないが,崩れ落ちたファサードに近い部分の柱頭にあった可能性もある。カゼンティーノの外であるがカッシャのサン・ビエトロ聖堂にある馬上の人々の図[図16],ピアン・ディ・スコのサンタ・マリア聖堂の農民たちの描かれた柱頭の中の騎馬像[図17],そしてグロピナのサン・ピエトロの中の騎馬像などを,封建領主の姿と見なすことができるかもしれない。スティアの古代風の服装の四人のうち,耳の横で髪をまとめて団子にして図17ピアン・ディ・スコ,サンタ・マリア聖堂図16カッシャ,サン・ピエトロ聖堂-344-
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