鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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いる人物がいるが,カッシャのサン・ピエトロの馬上の人物中横を向いて馬の背に乗る人物の髪形に似ている。しかしそれが領主という身分に特有のものなのかどうかは不明である。ロメーナとグロピナのサン・ピエトロ聖堂は特に建築,彫刻の様式上の類似が指摘されているが,スティアの方でも特にテラモンや古代風の服装の人物などにグロピナとの様式上の類似が見られる。これらの柱頭装飾に全体的な一貫したプログラムを見つけ出すのは容易ではないが,次のような解釈を提案する。聖堂全般にわたり植物や動物のモティーフが施され,植物の持つエネルギーの暗示がある。この聖堂では信者の大部分が農民であるため,これは神の世界に対する低い次元のもと見なされていたのではなく,大地の豊饒というポジティヴな意味を持っていたかもしれない。アプシス近くの聖杯はその場所で行なわれる聖体拝受の儀式を表し,熾天使は聖所に神の存在を暗示する。右側円柱列では洗礼の暗示の人魚の像で「再生」「新しい生」を表し,教会を支える司祭や司教の姿と,聖堂建設の直接の注文者であるグイド伯の姿を表した。左側円柱列では,教区教会堂の役割の中で「洗礼」と並んで重要な役割「埋葬」に関する「死者の魂」を鷲の姿で表している。天使の像もそばに人間の首が彫られていることから死者の魂を運ぶ存在として描かれているのかもしれない。本研究はロマネスクの聖堂でも都市部の大聖堂などではなく,農村部にある教区教会堂の彫刻プログラムを調べ,聖職者,封建領主という教養ある人々の文化と農民の文化の交わりがどのように彫刻装飾に反映されているかを追求しようという意図で始められた。しかし実際には,当初期待していたような,たとえば民間伝承や民俗的祭礼などの中にモティーフの源泉を見い出そうという試み(注8)はきわめて大きな困雛を伴うことがわかった。ただし当時の文盲の農民たちが見ても理解できるような意味が彫刻装飾には込められていたはずであり,純粋にキリスト教的な教理以外のところにその意味を見い出せる可能性は完全には否定できないであろう。修復の問題などさらに調査を要する様々な問題が出てきてしまったため,中心となるべき図像解釈に関する調査・考察がまだ不十分な状況である。さらにロンバルディア地方やフランス・オーヴェルニュ地方の諸聖堂の彫刻モティーフや様々な源泉の可能性を探ると共に,4)おわりに-345-

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