鹿島美術研究 年報第12号別冊(1995)
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注人類学,民俗学的観点からのアプローチも進め,よりグローバルな解釈を試みたいと思っている。方の他の聖堂とは,洗礼と埋葬という二つの菫要な機能を遂行することを許されている点で異なる。特に都市の大聖堂などに比べると信者たちのほとんどが文盲の農民たちであっただろうことから,素朴な装飾の中に士着の信仰などがより生き残っている可能性もあり,聖職者などの教養のある人々の文化と民衆文化の出会う場として興味深い。スティアのサンタ・マリア・アッスンタ聖堂にはファサードのポータルの上に浅浮彫が施されていたという記録があるが,どのようなモティーフであったのかはわからない。カゼンティーノ地方の他の三つの教区教会堂についてもファサードや外部には現在ほとんど彫刻装飾が残っていない。したがって内部の柱頭彫刻にしぼってその図像プログラムを考察する。カゼンティーノの聖堂に関して主に次の文献を参照した。は未見である。スーペリオーレはアルノ河がアレッツォ近くで大きくUの字に流れを変えた先の渓谷沿いにある。両者の間にプラート・マーニョという高地がある。(5)ロメーナの場合持送りの二人の天使の間にある植物を生命の樹と,また鷲を魂を神のもとに運ぶキリストと見て,「生」と「死」を対比させたものとも考えられる。生」を表すものと考えられる。(1)教区教会堂はラテン語のplebs(平民)に由来するpieveという名で呼ばれ,地E. Repetti, Dizionario geografico-fisico e storico della Toscana., Firenze, 1833-45 M. Bracco, Architettura e scultura romanica nel Casentino, Firenze, 1971 A. Bastioni, ~'Stia, 1992 (2)サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の現司祭から聞いた話であるが,修復の記録(3)カゼンティーノ地方はアルノ河の源近くの流れに沿う地方で,ヴァルダルノ・(4)教皇アナスタシウス四世がフィエーゾレの司教ロドルフォに送った小勅書(6)グリーンマンの図像は墓などにもよく使われており,植物の力と結びついた「再-346-

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