った可能性も高い。月本や雪堤を通して,広重が雪旦の他の作品にふれることもあったかもしれない。「都名所図会」と「江戸名所図会」とを比較した時,すでにふれたように雪旦の風景画構図法の特色がよく見てとれる。その1点透視図や枠による近景物の切り取りなどは,広重の作品中にも見い出せる。「江戸名所図会」中の駿河町三井呉服店の図や馬喰町馬場の図,平林寺大門の図などの消失点をほぼ中央に設定する図と,日本橋図(名所江戸百景)や二丁目芝居の図(喜雲堂板東都名所)の構図法は同じである。また「江戸名所図会」中の中川釣鱚の図,綾瀬川合歓木花の図や御厩河岸渡の図のように,近景に大きく舟を配ししかも枠により真ん中から切り落とす構図は,首尾の松大川端椎の木屋舗の図(絵本江戸土産)や永代橋の図(江戸十橋之内)の構図でもある。「江戸名所図会」中の潮見坂の図のように坂の上から坂下に広がる町並みを描く構図は,かす美かせきの図(江都名所)や霞ケ関の図(名所江戸百景)にも見い出すことができる。また「雪旦画譜」中の橋図のように,橋を視点を落として橋脚を中心に拡大して描き,その向こうに舟を加える構図は,両国之宵月の図(一幽斎東都名所)の構図に近い。以上のように,雪旦作品と広重作品には構図の上で近似するものが多いことを指摘することができる。しかし,だからといってこれまであげた雪旦作品が,同じくこれまであげた広重作品が生み出される上で必要だった一雪旦作品の存在を必ず前提としたーといいたいのではない。それらの作品に,構図の上で近似する北斎の作品もあげることができる。おそらく,他の浮世絵師の作品との近似を指摘することもできるであろう。ただこれまでのように,風景版画の展開を考える上で,北斎などの浮世絵師から広重へという流れだけを指摘するだけではなく,雪旦のような絵師からの流れも考えるべきではないかといいたいのである。広重には肉筆の風景画もあるが,これも雪旦の紙本彩色淀図(個人蔵)や隅田川遠望医(佐賀県立博物館蔵)と,対象の選択や構成において共通する点があることも否定はできないであろう(広重の描く視点は,雪旦のそれより低いが)。またここに雪旦の東海道五十三次略図(国立国会図書館蔵)の存在をあげることも,雪旦と広重との関係を考える上では必要かもしれない。これまで画史の上でほとんどふれられることの無かった長谷川雪旦ではあるが,時代の上に置いて考えると,その存在もまた興味深いことが明らかになった。雪旦の画-26 -
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